2022年09月14日

【薙刀式】道具のあり方

Twitterから。
> 山中俊治 Shunji Yamanaka@Yam_eye
> マジレスすると、「私以外の汎用性はなさそう」なものをいかに作るかというのが未来のものづくりのテーマだと思って研究しています。
> 「誰もが使えるようデザインされた」はずの量産品が、実は多くのマイノリティに不便を強いているのが、
> 20世紀型量産社会の正体なのではないかと。
https://twitter.com/Yam_eye/status/1285419140124037120?s=20&t=d0tpHv4zSOu-oniHRPsv1Q

配列や自作キーボードは、
まさにそのジャンルじゃないかな。
しかも毎日数時間触れるという、
布団、枕、椅子、机なみに重要な。


果たして標準キーボードは、
「誰もが使えるようにデザインされた」
ものだろうか?

歴史を調べれば調べるほど、
「最初は美しく並べてあったものが、
都合都合で入れ替えられたり、
ちょっと足すだけならええやろと足されたりして、
最初の原則が失われ、
それでも現行を変えるわけにはいかないから、
どんどん継ぎ足していった、
増築しまくった建築物」
のようになっていることがわかる。

それはもはや「誰もが使いやすい、
美しく合理的な動線」ではない。

少なくともMacのMagic Keyboardに関していうと、
最初から変えておらず、
「この設計された合理を貫く」という意思を感じる。

しかしWinに関してはサグラダファミリアよりたちがわるい。
サグラダファミリアはそもそも設計図があるしな。


結果、
「誰もが使いにくいが、
変えるともっとややこしくなるから、
誰も触れない」
みたいな、役所の手続きみたいになってるのが、
現状の109キーボードだと思う。

人類はそれを刷新するやり方を一つしか知らない。
焼き払うことだ。

根本的な設計のやり直しをする術を知らないし、
やる気も起きないだろうね。


もし各メーカーに、
「全部変えていいから、
最も合理的で疲れない、
人類がこれから100年使うべきキーボードを設計し直してください」
というお題を出すと、
どういう論理配列、物理配列を出して来るだろう?

日本が衰退する前にそれをやってみたいよね。

そしてそれはビジネスにならないから、
どのメーカーもやらないだろう。

だけど、
大量生産消費というパラダイムは、
キーボードに関してはもう通用していない。


僕は論理配列で、
改良の最先端にいると考えている。

かつてのように、最先端がひとつで、
時代はそこへ向けて走り出すのではなく、
四方八方に進化の手が伸びて、
絶滅しなければそれぞれで生き残るのが、
今の進化のイメージではないだろうか。

つまり、
「ひとつ」はない。

「それぞれが良いと思うもの」だけがある。

論理配列ですら、
「最もいい配列」というのはなく、
「それぞれのベスト」があるに過ぎない。

キーボード物理配列でも、
まだその決着はついていない。

あるいは、
どの物理でどの論理(キーマップ)を採用するか、
どのキーマップを使うために、
どの物理配列を採用するか、
というループの沼がある。


自作キーボードの出現が、
このことを民主化したように思う。

僕は、ユニバーサルデザインは、
それをつくったやつらの欺瞞だと思っている。

そんなものは嘘だと考えている。
じゃあユニバーサルデザインの配列つくってみろや。
そんなものはない。

人の言葉の出し方は、人によって全然違う。
それに合わせるべきだ。


剣の達人は、それぞれに使いやすいように剣のパーツを変えていた。
バイク乗りは乗り方に応じてカスタムする。
身体に長く接触するものほど、
個人に合わせてカスタムするべきだ。
靴もそうだし、万年筆もそうだろう。

とはいえ、無限にあると迷うから、
代表的ないくつかのパターンがあると、
初心者には分かりやすいのではないか。

自作キーボードでいえば、

左右分割/一体型、
ロウスタッガード/コラムスタッガード/格子/アリス/Grin/その他、
トラックやロータリーエンコーダありなし、
親指島をいくつにするか、
小指外をいくつにするか、
数字段ありなし、

などが分かりやすい分類になるかと思う。



配列もそういう風な、プリセットがあるといいのかな。

薙刀式(30+1キー、センターシフト2面、人差し指同時、記号機能キーあり)
新下駄(37キー、中指薬指同時シフト4面、記号あり)
飛鳥(32+2キー、親指同時連続シフト3面、記号機能キーあり)
みたいに分類すれば、
ある程度は、
どんなものがあり、どれが使いやすそうかの、
判断がつくのだろうか。

その人しか使えない、マイノリティにデザインがなることに関しては、
とても賛成なのだが、
それがそこにあることを知ることや、
自分に合うものを探すにはどういうことを知れば良いかとかが、
うまく伝達されないと、
それは存在しないことになってしまうと思う。

あるいは、
「それはデザイン可能である」
ことすら、人はなかなか思いつかない。

「qwertyローマ字は使いにくいですよね、
左小指のAと右人差し指のJを取り替えればどうです?」
といろんな人に聞いてみるといい。

「できるんですかそんなこと?
そんなことやっていいんですか?
それをやったらどういう問題がありますか?」
の三つの問いが出てくるかもしれないが、
最後の問いまで一気に問える人は、
とても少ないと思うんだよな。



日本語入力は、全く合理的な動線をしていない。
それを改良するのが、新配列運動だ。
その目的は一つの新配列に収束して、
それで現行を置き換えることではない。

個々にあった特徴の別解をたくさん集めて、
それらを比較検討することにある。

つまりは多様性だ。

マイノリティを救うには多様性を認めることしかなくて、
画一性を打破することしかない。

ただ、それぞれで勝手にやってろよだと、
それらは埋もれて消えてしまうから、
色々見て色々話そうぜ、蓄積しようぜ、
だけが、
多様性を維持して、新しい進化を生み出すと僕は思う。
posted by おおおかとしひこ at 12:41| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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