2022年09月19日

芝居という見立て

AをBで表現する話、
タイピングの続き。

つまりBによってAを見るのは「見立て」だ。

見立てに必要なものは何?


僕は「整理」ではないかと考えている。


整理には二方向ある。
プラスを伸ばすことと、マイナスを減らすことだ。

プラスを伸ばすとは、
象徴表現をキレッキレのいいやつにすることだ。

シンプルにしたり、
強い表現にしたり、
伝統的なものにしたり、
新しいスタイルにしたりすることだ。

マイナスを減らすとは、
ノイズを減らすことである。

タイピングの例が分かりやすいので、
この例で解説する。


件の動画のタイピングは、
別にタイピング自慢をしたいわけではなくて、
「彼女自身が綴る彼女自身の言葉」
に見せるためのお芝居だ。
だから、整理されているべきだ。

タイピングのノイズってなんだろう。
僕は、候補選択だと考えた。

リアルなタイピングを撮影したいならば、
候補選択をして、確定したり、
ミスタイプや書き直しがあり、
都度BSがあるはずだ。

ところがそんなものは、
「曲中に流れる彼女の言葉」
というものから見ればノイズである。

入力中の下線(入力中は点線、
変換後、確定前では文節単位で実線、
注目分節が太い下線、
という仕様をご存知か?
意外と見落としてるよね)
は、ノイズだろうか?
僕は「タイピングの雰囲気として重要」だと考えた。
ただ一文字一文字完成されたものが出てくるならば、
ルパン三世のタイトルみたいにしかならなくて、
あんまり新味もないし、
入力→変換→確定の、
実際のタイピングっぽいのは見たことがないので、
新しくていいんじゃないかと思ったわけ。

カーソルの点滅はノイズだろうか?
カーソルの位置自体は、ここまで入力が進んだことを示すから、
これも雰囲気ものとした。
問題は「待機中のカーソルの点滅」だ。
これは本編を見ればわかるが、
「間を表現する時は点滅あり、
絵を見て欲しいときは点滅なし」と、
使い分けられていることに気付かれたい。

つまり、タイピングのノイズを、
場所によって都度コントロールしている。


これが「整理」だ。

つまり、内容に応じて、整理の規模を変える。
それはつまり、
内容に相応しい整理のあり方の、
ベストを常に出している、
ということである。

一定の整理なほうが良いだろうか?
僕はそうは思わない。
ノイズの量を増やせばリアリティが増し、
ノイズの量を減らせばリアリティが減り、
象徴的、記号的になるから、
それを表現に利用すればいいと思っている。


つまり、
表現とは、あなたの整理のことである。

複数でつくるとろくなことにならないのは、
整理の仕方がバラバラになるからではないかと思う。
つまり、ノイズが揺れてノイズになる。




シナリオに話を戻すとどうなるかな。
状況とか、動機とか、キャラクターとか、
ストーリーラインとかだろう。

それはある種の整理をされるべきで、
現実のようにぐちゃぐちゃでは分かりにくい。

彼女の気持ちと一体化したいときに、
候補選択したりBSするのは、
リアルではあるが邪魔なのと同じだ。


リアルが必要か?
整理されたものが必要か?

僕は、表現とは、どのように整理したか、
だと考える。


日本画では、
「何もない空間には何も描かない」
という技法がある。金屏風とか水墨画とか。

これは西洋画ではあり得ないことだ。
空ならば空を描くし、
霧ならば霧を表現するし、
光なら光を、
絵の具を塗りこめて表現しようとする。

だけど日本画だけが、
そこに何も描かないことを表現とする、
という技法を編み出した。

仏教的な「空(くう)」と解釈する人もいるが、
そんな難しいことではなく、
それはつまり整理なのだ。

(余談だが、日本の広告には余白に沢山文字を入れて、
整理を台無しにする傾向がある。
みんな表現の整理整頓が下手なんだな)


あなたの表現はなにか?

それは整理が効いてるか?
どのような整理か?
その整理の考え方こそが、あなたの作家性だ。
posted by おおおかとしひこ at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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