普通の人生を生きようとしなくて、
創作に人生を捧げようとする人は、
何が動機なんだろう。
色々とあると思う。
でも初期のほうに思っていたことは、
「自分が特別であることの証明」のようなものじゃないかな。
ほとんどの人は一番は取っていない。
でも自分は特別で、それを証明したい。
でも現実ではそれを証明する手段はない。
だから、架空の世界で何かをすることで、
特別な何かをつくることで、
「それをつくった自分」が特別であることを、
証明しようとする。
そんな感じじゃないか。
だけど、
初期のころはまだ何が何か分かっていないから、
ただ逆張りするだけで、
何か特別なことをしたような気になる。
若者が支配的な何かに、反抗するだけで何かしている気になる、
ロックはそういう感じだ。
でも反骨精神だけじゃ、芸術にはならない。
それは単なるテロと同じになってしまう。
特別な何かになるには、
ただ反抗しているだけじゃなくて、
何か別のオリジナルをつくらないといけない。
芸術の別名は、オリジナルである。
あなたが特別であることを証明するには、
単に今までなかったことをやったり、
単に今支配的な何かを攻撃したりするだけでは、
ただの破壊者でしかない。
ジョーカーや山上と同じだ。
破壊することがアイデンティティーになってはいけない。
現実世界では破壊だけでも名が残るかもしれないが、
我々のジャンルは創作である。
壊すことではなく、つくることでアイデンティティーを得るジャンルである。
単に変なことをして目立ちたいだけ。
単に逆をやって目立ちたいだけ。
それだけでは、ストーリーテラーとしては不合格だ。
ロックスターやテロリストならいけるかもしれない。
ストーリーテラーがするべきことは、
つくることである。
これまでにない価値をつくることである。
そういう世界があるとか、
そういう変化があるとか、
そういう結末があるとかで、
これまでの価値観を崩し、
置き換える価値を、「つくる」ことである。
あなたが特別かどうかは、僕らの知ったことではない。
あなたが特別扱いされているかどうかも興味はない。
でもあなたは特別である。
それは、「特別なものを書く」から特別なのだ。
イケメンとか、性格がいいとか、
金を持ってるとか、きちんとしているとかは、
どうでもいい。
性格破綻者とか社会不適合者かとかも、
どうでもいい。
あなた自身が特別かどうかはどうでもいいのだ。
あなたがつくるものが特別かどうかでしか、
我々はあなたを見ないだろう。
あなたがそう思われていたいという予想図と、
観客の要求は、
全然同じではない。
あなたが他の作家に要求することが、
あなたに要求されていることだ。
あなたは他の作家を神扱いしたいとか、聖人扱いしたいのか?
ファンならそうかもしれないが、
あなたは他の作家を「面白ければ神、くだらなければ糞」だと思うよね。
そういうことだ。
自分自身が特別だと思えないから、
創作物によって、そう思われたい、
あるいは、自尊心を取り戻したい。
それ自体は、創作の原動力としてわかる。
だけど、
そのことと出来上がりは、
何の関係もないことを知ることだ。
あなたが特別だと思われるのは、
あなたが特別面白くてオリジナルなものをつくったときだけだ。
ということは、人生で何回かしか、その瞬間はないということだよ。
つまり、他の何かで恵まれれば、
たぶん創作なんてしないだろうね。
不幸なやつのほうが小説はうまいとか、
モテないやつのほうが曲はいいとか、
そういうことはよく言われることだ。
コンプレックスを抱えて、
それをバネにして創作している人はたくさんいる。
それが創作クラスタのポピュラーだといっていいくらいだ。
つまり、「特別じゃないくせに、特別だと思われたい人々の集まり」が、
創作クラスタであるともいえる。
そんな風に見られたい?
そんなアマチュア集団の目立たぬ一人でいいか?
そうでなければ、オリジナルをつくりなさい。
反抗したいとか、
逆張りしたいとか、
特別に見られたいとかは、
すべて「ここじゃないどこか」でしかない。
「そこ」へ連れていくのが創作だから、
なんのゴール地点も見えていない、
と告白しているに過ぎないよね。
これじゃないという人は、
半分は創作は向いてるが、
決定的な半分が足りてない。
創作に必要なのは「これだ」をつくることだ。
2022年10月02日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック

