2022年09月27日

これが表現ということ

円を動かしてるだけなのに、
夜の高速を飛ばしている気分になるもの。
https://twitter.com/0310lan/status/1574374134133719041?s=20&t=8iugX3-g2ZRnVeYKuNH46Q

夜の高速を飛ばす車から撮影するのは、
AをAで表現することだ。
これは、AをB(黒に丸の移動)で表現されたものである。


つまりは見立てだ。

BをAだということにしよう、
というやつだ。

「へえ、丸の移動なのに、
夜の高速に見えるな。おもしろい」
という感想の、
「おもしろい」という部分が、
クリエイティブということなのである。

この「おもしろい見立て」を、
「あたらしくつくる」ことが、
表現を創造するという行為なのだ。


丸の移動で夜の高速を表現する見立て自体は、
BASIC時代のパソコンゲームにもあったけど、
結構滑らかな動きなのはJavaScriptならでは、
なのだろう。
リッジレーサーみたい、というリプがついてたが、
リッジレーサーで使われた物理エンジンに近い、
枯れた技術によるものということだろうね。

で、
Aをしているだけなのに、
Bにしか見えない、
という見立てこそが、
我々がやろうとしていることだ。

極端に言えば、
カメラの前で俳優がしゃべってるだけなのに、
「そこで大変な物語が繰り広げられているように見える」
がスタート地点なんだからね。


僕はいつも、
「死んだ人が魂だけになって、
この壺に入っているという設定」の例を出す。

そうしたら、この壺を落としたら大変なことになるから、
絶対割っちゃいけない、という縛りが出てきて、
事情を知らない人が壺を投げて誰かに渡した時に、
大変オタオタすることになったり、
死んだ人の思いを叶えた時に、
なぜかその壺が勝手に割れることで、
成仏を示したりできるんだよね。

この見立ては、AをBで表現することの、
一例なわけだ。

このような、
斬新でへえって思えるような、
いい組み合わせを考えることが、
我々に課せられた期待ということなんだよね。

見立て。
つまり、AをB世界に変換して、
Bの常識でAを表現すること。
それに重要なことは「抽出」であろう。

これこそが我々の発明品である。
posted by おおおかとしひこ at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック