薙刀式のいいところは指のつながりの部分で、
重要な言葉はするすると繋がるところがいいところだ。
一方、
そんなに早く打てなくてもいい言葉は、
そこまで早くなくてもいい運指が当たっているところがある。
それが「とはいえ」のパート。
ちなみに、DCK【O】。
「とは」が中指縦連だし、
「いえ」がKOアルペジオとはいえ、
長い指を畳まなくてはならない運指だし、
シフトが絡んでいるから、最高速で打てるものでもない。
実際、「とはいえ」と打ちたいときは、
一歩引いて一拍置きたいところだろう。
これまでの議論を一歩引いて、
それはそれとして引いた目線に戻るときに、
「とはいえ」を使うだろう。
だから、最高速である必要はない、
というのが僕の考えだ。
思考の速度に合わせた打鍵速度になっているのが理想だと思う。
思考速度が落ちるところで落ちるべきだし、
落ちるところで速い運指であるべきではないし、
思考速度が速いところで指がもつれるべきじゃないし、
思考速度が速いところでは早く打てる運指であるべきだろう。
この一致が実現するためには、
一拍置くような言葉は、
一拍置く運指であるべき、
ということではなかろうか。
もちろん、意図的にすべて仕込むことは不可能だろうが、
それでもこうした偶然というか、
結果的にそうなっていることには、
なんかいいな、と思うんだよね。
僕は薙刀式ほど思考と一致させる速度で打てる配列を、
他にマスターしていないから、
他の配列でもこうした要素があるかはよくわかっていない。
あるならそうだと教えて頂くと幸いだ
(できれば具体例があるといい)。
他の配列で「とはいえ」はどうなってるんだろう、
と調べることは可能だけど、
他の配列では別の言葉がそれに該当してるかもしれないので。
もちろん、ゆっくり打つべきところが良運指で、
指を休ませながらゆっくり打ってもいいんだけど、
その良運指を他の速いべき言葉に当てらないか?
なんて僕なら考えてしまうんだよね。
まあ配列というのは総合点だ。
こういうゆっくりなのが良いところも、
薙刀式にはあるということで。
2022年11月02日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック