2022年11月07日

追い詰められたときに本性が出る

人間の法則というか、本当のところというか。


主人公サイドでもよい。
敵方でもよい。
他の誰かでもよい。

常識では考えられないような、
ひどい判断や決断をすることがある。
それは追い詰められているからだ。

つまり、追い詰めていけば、
そのキャラクターはとんでもない判断をして、
暴走して迷走することがあるわけだ。

ああ、それはよくわかる、
というような、
追い詰められた状況をつくってみよう。
そんな状況ならば、正常な判断も出来ないわな、
というような状況と誤った判断をつくってみよう。
こういう風に追い詰められたからこそ、
こうしたんだなあ、という「分り」をつくってみよう。
それが人間観察というものだ。


追い詰められた時の判断というものは、
他人への命令となって出てくるだろうか。
それとも行動だろうか。
ただの暴言としてだろうか。
なんでもよくて、
それがストーリーを動かすターニングポイントになっていればいいのだ。

カフェで子供と母親とかを観察していると、
急に母親が切れだすことがたまにある。
なんか追い詰められているんだな、
と思うことにしている。

余裕がないとき、人は人にやさしくできない。
人につらく当たるのは、追い詰められているときである。
普段穏やかな人だって、
追い詰められたら犯罪を犯すことだってある。
ずっとプレッシャーが与えられている場にいたら、
毒を吐くことも他人に当たることもある。
それは表裏がある人かもしれないし、
その人の本性かもしれない。
あるいは、
本性でない、単純に追い詰められた心理かもしれない。
あるいは、
錯乱かもしれない。

それで誤って、どんどん転落していくこともある。
他人を追い詰めて、その他人が間違いを犯すこともある。
主人公サイドでもいいし、
主人公を追い詰める他人でもいいし、
敵がそうやって転落していくのもある。


どういうときに人は追い詰められて、
どういうリアクションをしてしまうのか。
余裕がないとき、人はどうなってしまうのか。
そういうことを普段観察していると、
物語のヒントになることがある。

逆に、誰かを追い詰めるストーリーすら書けるわけ。


ていうか、人生のすべては物語のヒントである。
観察し放題ではないか。
posted by おおおかとしひこ at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック