今こういうことを考えている、
こういうことを当然として考えている、
そういうことを示すには、
「自ら語る」のではない。
リアクションとして示すとよい。
たとえば「強い人」というのを考えよう。
弱い人が強くなったとしようか。
「よし、強くなったぞ」というものを示すには、
たとえば力が強くなったとか、
何か絵で示すことができると思う。
心が強くなったことも、
前では折れていたことが、我慢できるとか、
動じないとか、そういうことで示すことができる。
だが、「その奥底で心はどのように思っているか」
を示すことはなかなか難しい。
こういうときは、
「石を投げる」というテクニックを使う。
石を投げてどういうリアクションをするかで、
「強くなったこと」をどう思っているかを、
測ることができる。
たとえば。
その人が急いでいるときに、
ババアがよたよたしていて、
道をふさいでいるとしよう。
これが石である。
これにこの男はどう答えるか。
「強くなったことをかさにきて、
他の人のことを考えていない。
つまり強くなることは、他の人を押しのけることだ」
という風に考えている男は、
「どけババア!」とババアを突き飛ばして進むだろう。
「強いこととは、余裕ができることで、
自分だけじゃなくて他人も幸せにすることである」
と考えている男は、
その強くなった力(たとえば力持ち)で、
ババアの荷物を持ってあげたりするだろう。
強くなることは、弱い者とどう付き合うかを決めることでもある。
それを弱い者という石を投げることで、
リアクションを見るわけだ。
勿論これは分りやすい例で、
もっと複雑に組んだほうがいいとは思うが、
まずは簡単な例で理解できるようにしてみた。
あることが同じでも、
まったく考えていることは違うかもしれない。
強いことは他を押しのけることと考えている人も、
強いことは弱い者を助けられることと考えている人も、
世の中にはいる。
その違いは、見た目や言動だけではなかなか区別できない。
だから石を投げるわけだ。
そのリアクションによって、
二人の登場人物は、まったく違う心を持っていることを示せるよね。
さて。
さらに深い話を。
この二人の対照的な人物は、
何故そう考えるようになったのだろう?
Aはなぜ強いことは他を押しのけること、
と考えるようになり、
Bはなぜ強いことは弱い者を助けること、
と考えるようになったのだろうか?
幼少期の育ち方か。
親の教えか。
あるいは、とても強烈な体験があり、
それからそのように考えるようになったのだろうか。
つらいトラウマや、
逆に強烈な成功体験がそう考えるようになった原因だろうか。
仮に双子だったとして、
同じ子供がたまたまそういう目にあったから、
AとBという二人の考え方に、
分かれて行ったと考えてみよう。
何が二人の人物の分け目となったのだろうか?
似たような希望にあふれた、
社会人一年生が、
付いた仕事や先輩によって、
まったく異なる仕事観を形成して、
まったく異なる社会人になっていくことは、
会社ではよくある話である。
「付いた先輩が悪かった」とか、
「いい先輩に教えてもらったねえ」とかいう。
あるいは、
「いい仕事の経験をしたんだね」とか、
「最悪の仕事だったんだなあ」とかいう。
同じ資質でも、
体験や環境や強烈な何かによって、
心や考え方や哲学が変質していくことはよくある。
そういう創作をしてみよう。
つまり、
AとBは、立場が違ったら、
お互い自分であった可能性がある、
という風につくることは可能だよね。
その二人が出会い、絡むとしたら、
面白いことになりそうだよね。
何かの事件に直面して(石)、
それに反応することの違いで、
哲学の差異をしめすことができて、
その結果、二人はどう影響しあっていくだろうか。
人間を描くとは、大体そのようなことだ。
リアクションを引き出せる、
石を投げてみよう。
それは現在の点である。
その点はどうやってできたのか。
その点はそれからどういう線をたどるのか。
ある考え方に対して対照的な二人は、
どういう変化をするだろうか。
これだけで、物語の大事なポイントのほとんどが入っていないか?
これを描くために設定があり、
これを描くために事件があり、
これを描くために周囲の人間関係があると思うわけ。
あることに対する対照的な二人を創作しよう。
それがうまくできたら、
それを生かす設定や事件を考えよう。
それらが面白そうならば、
大体面白くなるぞ。
2022年11月08日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック