になるよね。なんでだろう?
それはストーリーの行方、
事件解決をするかどうかが、
作中の皆にとって関心ごとだからだ。
だから、みんなが望む解決をするために、
解決の場に参加してくるわけだね。
主人公一人が闘っているのではない。
みんなが、解決にむけて頑張っているんだ。
その中でも個人的な、どさくさに紛れて、
何かをしようとしている山師も混じっているかもしれないが、
それはそれでクライマックスの清涼剤になるだろうね。
もちろん、変化しないトリックスターのような存在もいるだろう。
そのいくつものうねりが、
クライマックスを重層的に見せることができると思う。
いろんな人のいろんな都合が、
ついにひとつに束ねられる、
という感じは、いつもとてもわくわくするよね。
もちろん、
主人公のテーマが収束する瞬間や、
作品のテーマが確定する瞬間にむけて、
着々と進むわけだが、
それだけではこれまでのサププロットを回収しきれるとは言えない。
つまり、
これまでサププロットを沢山書いてくれば来るほど、
クライマックスは重層的になり、
いくつもの登場人物のサププロットを解決する場にもなるということだ。
彼らは彼らなりに問題を解決しようとする。
それは個人的な理由だけでなく、
社会的な、公的な理由もあるかもしれない。
これは我々社会にとって、
解決する問題である、
だから共闘するのかもしれない。
その中では相いれない味方もいるから、
それには協力しないが、全体には協力する、
という人もいるかもしれない。
そんなこんなの、
物語を束ねる力が、
クライマックスには必要である。
これは経験があればあるほど、
複数のストーリーラインをまとめられる。
経験が少なければ、
2本をまとめるのも苦労するかもしれない。
いろいろな立場の、いろいろな目的の人が、
いればいるほど、
サブプロットは複雑になる。
それをうまくまとめられるように、練り上げるのは、
これまで自分がやってきたことの意味を問うことでもある。
複数の登場人物は、
それぞれに解決の目的が微妙に異なるはずだ。
彼らの理想の解決はどのようなものだろう。
その最大にいい解決を、
主人公はするはずだ。
さあ。大団円はもうすぐだ。
登場人物それぞれが思う解決よりも、
もっといい解決をするから、
大団円になり、主人公は皆に認められるのだ。
そんな風に、
クライマックスを、
複雑な迷路を解くようにつくろう。
サブプロットがあればあるほど、
面白いぞ。
2022年11月09日
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