2022年11月10日

What doではなく、How doがテーマ

何をするかで映画はものを描く。
それをどうやってするかの、
具体がテーマになってくる。


ものを届けるとしようか。

バイク便を手配しようとしたら無理だとわかり、
誰かに頼もうにもいないから、
自分で行こうとしたと。
でも雨が降ってきて嵐になり、
それでも自分一人で届けたとしよう。

なぜ他人に頼まないのか、ということよりも、
「どのようにしたか」でそれはわかる。
「届ける責任があるから」ということだ。
これがテーマになってくるよ、
ということである。

何をするか、だけならば、
敵を倒すとか、儲かるとか、告白するとか、
色んな事があると思う。
ただ、それをどういう具体で実現するのか、
でテーマは全然変わってくる。

敵を倒すのも、
正々堂々と倒すのと、
人質を取り弱みを握り、八百長に仕立てあげることでは、
まったくテーマは変わってくるだろう。

たとえば「喧嘩商売」という漫画では、
いかに汚い手段で盤外戦で勝つか、ということを、
延々とやっている。
それはスポーツ的な勝利ではなく、
武術的な、なんでもありで勝つことが、
ほんとうの(リアルな)勝負である、
ということを描こうとしているからだ。

ずっと前振りをしている、
「最強の格闘技は何か? まだ決まっていない」
というやつは、
テーマの逆で、
「格闘技ごときのスポーツに、
最強があるわけがない」ということを含めている気がするんだよね。
「格闘技」といっているからね。武術や戦略とは言っていない。
つまり現場の技術よりももっと大きなものが最強を決めるし、
測定可能な「最強」という概念に、
縛られないものが勝つ、
みたいなことを言おうとしていると僕は予想している。


何をするかは、プロットでもよく考えることだ。
どのようにして?は、
プロット段階では適当にしておいて、
現実の執筆段階で思いつくこともよくある。

ディテールはあとで考えることにして、
骨格だけ考えよう、というプロット段階においては、
具体的手段は邪魔だな、と思うこともあるからね。

だけど、
実際は、その細かい具体的な手段が、
テーマを雄弁に語ることもあるわけだ。

「告白して成功する」
というWhatをやるときに、
たとえば金で買うというHowでいいのか、ということさ。

もちろん、「心は金で買える」というテーマならば、
それはよい。
しかし普通は「誠実さが重要」とかになるから、
じゃあその誠実さってどういうこと?
というHowを具体的に描いていくことになる。

それですごく素敵な告白をつくりあげ、
「その方法ということは、こういう意味だな」
ということを暗示できるわけだ。

もしこれまでの二人のストーリーを圧縮して、
それを二人の運命の根拠にするとかならば、
「ずっといたことこそが愛の証」みたいなテーマに結実するわけだし、
複数の男が求愛するとき、
突き抜けたやつが選ばれるならば、
「愛で突き抜けることが必要」というテーマになるだろう。

どのようにして?そのものが、
テーマを雄弁に語るわけだ。


この具体は、プロットのときにつくるべきか?
僕は、「テーマに関することは、具体的につくるべきである」と考える。

「ずっといたことが愛の証になる」というテーマに落とすならば、
それを具体的にどのようにして示すかが、
その作品が成立するかどうかの勝負ポイントになるわけだからね。
その勝負ポイントだと思ったことは、
具体的にやったほうが強くなると思うよ。


そうでないところ、
たとえば「転校してくる」とかは、
具体的な描写がなくてもいいと思う。

もちろん、それがテーマに関することに直接使われるならば、
具体を詰めていったほうが、
執筆では迷わなくて済むだろう。
ていうか、執筆段階でそれを考えるのは、
未来の自分への無茶ぶりもいいところだ。


その具体が、
そのストーリーの素敵さとか、
強さとか、ありようをきめることがある。
何をどうする、まで決めておくべきだろう。

後ろを振り向いた敵を切って終わる話は、
「正々堂々と戦う」というテーマには落ちない。
テーマが変ってしまうだろうね。
相手が汚い技を使ってきても、
正々堂々と相手を切ることができたとき、
はじめて「正々堂々と戦う」がテーマになる。


How doを考えよう。
それがテーマになる。

具体的に敵をどう倒すのか?
具体的にどういう告白をするのか?
具体的にどういう勝ち方をするのか?
勝ち方そのものがテーマにならないならば、
勝つ場面はそれほど重要じゃないだろう。
じゃあ、テーマに落ちる瞬間はどこかを考えればいい。
勝負する話でないほうが、
テーマを的確に示せる、とわかったら、
勝負するプロットは、それがいかに面白くても却下することだってある。

プロット段階というのは、
そのように、
テーマとHowを詰めることをしておくべきだろう。
posted by おおおかとしひこ at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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