まだストーリーが形になる前の、
構想段階のこと。
どういうことがしたいのか、
最初にメモっておくことはとても良い。
なんでもいい。
「日本刀を振り回して大活躍」みたいなことでもいいし、
「虐げられた者が、逆転する」みたいな抽象的なことでもいい。
あるキャラクターのことでもいい。
「サイバー東京」みたいなムードのことでもいい。
それらは妄想すればするほど、
増えていくことと思う。
それを全部収めることはまず不可能だと思ったほうがいい。
実現するのはそのうちいくつかだ。
いくつかは実現できない。
なぜならば、
そんな適当に妄想したものを全部含むようなものは、
たいていご都合だからだ。
ご都合なしに、
適当な妄想をすべてうまく融合したものって、
なかなかうまく造れないからだ。
もちろんできるならそれに越したことはないが、
経験的に全部をうまくそろえられたことはない。
だから、必要経費として、
いくつかは実現できないことを念頭に置いておこう。
まあ妄想だからね。
もやもやした、形を持たないものだから、
これで使えなくても別の作品の中で使えばいいかもね。
さて、それらの「芽」があるとする。
それらは常にメモっておこう。
プロットを作り始める土壌になる。
で、それらの点の要素から、
一本の線を思い付き、
大体できたとしよう。
そのとき、
「はじめにやりたかったことのメモ」を、
もう一回見るといい。
結構捨てているなあ、とおもったり、
忘れていて、入れておくんだった、
と思うものもあるだろう。
ああ、最初に思ったこれは、
あとあといらなかったな、とか、
反省できるかもしれない。
で、ここからが本題。
もし今の要素にそれらを足したいならば、
何を変更する必要があるかを考えるのだ。
実現していない、
「最初にやりたかったこと」をやるために、
何をどう変更したら、
最初にやりたかったことになるだろうか?
もちろん、全部は実現できないが、
やりたかったことの一部は可能だ。
可能ならば、やれることを考えてもいいと思うんだよね。
無理があるならやめとくべきだけど。
というのも、
「最初に思いついた初期のアイデア」って、
わりとどれも面白いんだよね。
なぜなら、
それらが思いついたからこそ、
それを書こうという、長い旅に出るモチベーションのようなものだからだ。
もちろん、ゴミだった場合もあるから、
必ずしもそれを大事にしなくてもいいかもしれない。
だけど、
ああ、最初はこうしようと思ってたなあ、
もし実現したら、どれくらい面白いだろう?
と、想像することは、とてもいいと思う。
それが実現したほうが面白くなるならば、
組み替えて、それが入るようにしてもいいんじゃない?
クライマックスの前に、
僕はよくこれを整理することがある。
最初、何をどういう妄想をしたんだっけ?
何をいいと思って、これをやりはじめたんだっけ?
どういう確信(予感)があったんだっけ?
もちろん、それらがとっくに色あせた、
あんまりおもしろくないものである可能性はある。
それはそこから発展させられた自分をほめればいいだけだ。
最初に面白いと思ったことのいくつかは、
実現しただろうか?
実現させたほうが面白いだろうか?
つまり、過去の自分に答えることができるか?
過去の自分は、
「これこれこれをやりたいのですが、
これを実現することってできますか?」
と問うている。
「うん、できるね。ただし、
これとこれは捨てることになる」と、
現在の状態を答えることは出来るだろう。
だけど、最初のこれを実現できていないな、
という判断はまた可能だ。
それは勿論、
「やりたい」ことであるべきでなく、
「やるべき」ことであるべき。
面白いからやるべきなのであって、
あなた一人がやりたいからやるべきではない。
それは単なる自己満足だからね。
最初に何を達成しようと思っていたかなあ。
今まで構築してきたものは、
それを超えているかなあ。
最後の一山に向かうとき、
それらを確認することになるかもしれない。
落ちとは、最初に前振ったことに、
答えることでもある。
最初の自分の前振りに、
落ちで答えられているかね?
あなたの妄想は、
うまく結実したかね?
あなたは結局、何をしたくてその物語を書くのだろう?
その物語の核の結論はなんだろう?
それに関わる、捨ててしまったものは?
そのパーツを組み上げると、
もっといいものになる?
最初に思いついたものでも、
しょうもなくて捨てるべきものはたくさんある。
むしろ、そうしてきたから、
ここまで書けたともいえる。
メモがたくさんあればあるほど、
捨てたものは多いだろう。
だからたまに眺めるといいんだよね。
「俺は何をしようとして旅に出たんだっけ?」みたいな。
留学の目的がわからなくなってしまっている留学生じゃないんだから、
目の前のものに惑わされていないで、
当初の目論見を再確認することだ。
2022年11月11日
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