僕はどうも機械計算配列が好きになれない。
人工知能に感じる漠然とした不安もあるんだろうけど、
それよりも思うのは、
「AとBを交換した方が打ちやすいのでは?」に対して、
「いやこういう理由でこっちの方がいいんですよ」
という納得が、誰からも与えられないことかな。
機械計算配列の最初である花配列の、
最終候補群から、
一番いいものをチョイスするのを見た時に、
「なぜこれが最上といえるのだろう?」
が納得できなかった。
最もスコアが高かったからといって、
その評価関数が妥当かどうか、
全然分からない。
ゲームの評価ですら何人ものレビュワーでクロスレビューするんだから、
評価関数が一つって貧弱じゃないかと思ったんだよね。
そもそも配列の評価って一律の数値評価ができるものか?
という大前提があって、
出来ないけど便宜上やってみよう、
という試みが機械計算配列だとは思う。
そうしないと終わりも見えないしね。
手でやってもエンドゲームが見えないものが、
機械ならできるのでは?
という実験だったのかもしれない。
すくなくとも複数の評価関数を与えて、
別々の基準でいくつかの尖ったものや、
バランス型などを見出した上で、
「これが良さそう」と人間が判断すれば、
まだ納得感があったのかも知れない。
我々はただよくわからない神のものを、ははーと受け取る程度には、
馬鹿ではないと思う。
で、
計算配列を見た時に、
「これをこうした方が良いのでは?」
と思ったとしても、
誰にも聞けないところが厄介だ。
人間の手ごねならば、
「いやそれにはこういう理由がありまして」
なんて議論ができて、
なるほどそうなのか、深いところまで考えられている、
などと思ったり、
その手があったか、それは考えてなかった、
があったりして、
より改良のチャンスになるはずだ。
だけど機械計算配列は、
それをそう変えたらどうなるか分かりません、
ただスコアは計算できて、○○です、
までしか言えなさそうなんだよね。
そのスコアの妥当性は置いといたとしても、
どっちがいいんだという議論ができない。
議論は決着や喧嘩が目的ではない。
「その考え方があるのか」を発見する行為だ。
機械計算配列はその議論の機会を奪う。
思考の結果ではなく、神託だからね。
配列作りの新しい評価法や、新しい観点にたどり着けないわけだ。
だから機械計算配列は、
何も考えず受け入れるか、受け入れないかの二択しかない。
人類を幸福にする「考え方」を運んでこないんだよな。
(花配列がもたらした「考え方」は、
中指前置シフトというアイデアの方で、
配字のほうではなかった)
機械計算配列への不審で、
さらに大きなものが僕にはあって、
「構造が読めない」ことなんだよね。
配列作りを長いことやってると、
その配列のアイデンティティになるような、
骨格があることがわかる。
これはここから外せないような、
中心となるカナがあり、
30キーと少しの範囲にそれが張り巡らされていて、
枝を張っているような感じになってるんだよね。
実は配列作りのほんの初期、
完成までの期間の1/100くらいで、
その骨格って定まると思う。
配列作りのほとんどの時間は、
枝葉のマイナーカナいじりのような気がする。
細かい手触りが納得しないから、
滑らかに全部がいくようにテストするわけだ。
つまり骨格が先にあり、攻めであり、
枝葉は後付けで、抑えでしかない。
手ごねの、どんな配列でもこれがあると思う。
配列を使う時、
この骨格がはっきりしていて、
分かりやすいほうが、
納得を持って使いやすいと思う。
先日の話と通じるけど、
「自分の使う道具がどうやって出来てるか、
把握したい」からだ。
たとえば新下駄はそれが整理されていて、
ホームキーに「ん」「う」「い」が来ている理由が、
明確に統計頻度であることが明示されているし、
IOの拗音同時押しからの「う」へのアルペジオなどは、
新下駄のメイン骨格をなしていると思う。
逆に親指シフトでは、
ホームキーFJに「け」「と」がきている理由がよく分からない。
ホームポジションの起点という骨格上大事なところが、
日本語の骨格と関係ないのだ。
一方、外側指に「う」「い」「ん」の三大頻出カナや、
句読点を置くなど、
「親指と外側キーが骨格で、あとは枝葉」ということが読み取れる。
うーむ、いまいち美しくない雑多だなと、
読み取った時点で判断できる。
薙刀式であれば、
右手のアルペジオに、「ある」「ない」「する」があり、
左手のFに「か」があって、FJ同時で「が」という主格になり、
BSがUにあり、左手にもアルペジオがあり…
みたいな骨格があり、
なるほどそれは信用に足る、と思う人は使えば良いわけだ。
計算配列は、そういう風な構造を読み取れない。
なんか知らんけどこうなった、
ばかりの集大成で、
確信をもって使えない気がする。
AIへの不審ではないと思いつつも、
根本的には同じものかも。
「それがそのようになっている構造を説明できない」
ことへの不審だね。
なんか知らんけどこうなったものは、
なんか知らんけど壊れて動かなくなる。
二度と再現できない。
薙刀式は、おそらく骨格と基本となる考え方さえあれば、
機械でも人間でも、
そう変わらない結論のものを作れるのではないかと思う。
逆にいうと、その骨格こそがその配列のキモで、
アイデンティティなわけだ。
つまり機械計算配列にはアイデンティティが見出せない。
花配列作成時に、
ナンバーで配列を管理していたあの感じ。
「花」と名前をつけてようやくアイデンティティを得るが、
配列そのものにアイデンティティがない感じ。
AI研究そのものが、
「機械にはできない、人間の本質を発見すること」
でもある、
と僕は思っていて、
だから学生時代それを専攻にしようと思ったんだけど、
機械計算配列は、
人間のつくる配列の本質は骨格である、
と言っているようなものかも知れない。
2022年11月01日
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