人生七転び八起だけど、二幕もそういう感じでいいんじゃない?
ハッピーエンドへの最短距離である必要はないと思う。
むしろ、
最短距離だけを疾走することが、
人生のシミュレーションとしていいと思えない。
「誰から見ても最短距離を進んだ男」の話は面白いかね。
「七転八倒する男」のほうが見ている分には面白いよね。
だから、そういった話の展開にするべきだ。
こうしてみよう、失敗した、
じゃあこれはどうか、ううむだめだ、
これはいけるんじゃない? おっ、いけそう。
いけたぞ! じゃあ次の段階は?
ううむ、やっぱだめだ、
そういう感じがいいんじゃないか。
そうしないと起伏なども作れない。
成功し続ける話は、起伏がない。
失敗、失敗、成功、のような、
リズムをつくれないと思う。
もちろん、
失敗、成功、成功とか、
失敗、失敗、成功、成功とか、
変拍子にしていってもよいし、
同じリズムにしていく必要もないだろう。
読まれないことが大事だ。
毎回成功しているならば、
「次は成功するんだろ?」って予測されてしまう。
成功と失敗が半々ならば、
「どっちに転ぶかわからない」となり、
その結果に緊張することになる。
失敗続きならば、成功に驚くかもしれない。
成功は失敗の苦さの上にあるから、
甘いのだと思うよ。
ただシュガーだけを描いても、
人生のシミュレーションとしては、
出来が悪いと思う。
(その一方で、甘い成功だけを描いて、
現実逃避をさせるものもある。
ざっくりいえばメアリースーだが、
それはここでは推奨しない)
書き手はついつい主人公と自分を同一視してしまう。
そしてプライドの高い書き手ほど、
苦労したが失敗する主人公を書きたがらないのではないか。
それは、主人公と自分を同一視している誤りと、
面白いものを書くべきなのに、ブライドを守っているだけという誤りの、
ふたつの誤りを起こしていると思う。
主人公と自分を同一視していると、
成功する自分しか書きたくないだろうからね。
それじゃ他者としては面白くない。
色んな苦労や失敗をしてほしいし、
だからこその成功が面白いのだ。
偶然成功するから「なぜ成功したのだろう?」と解明する面白さがあるのであって、
毎回成功するなら麻痺してしまうだろう。
そうした起伏こそが、
中盤にあるべきだということだ。
成功への最短距離はたぶん、映画じゃない。
すごい人のドキュメンタリーとしては面白いだろうが、
映画としては面白くないと思う。
もっと失敗して、立ち直るさまを描くべきだろう。
なぜなら、
人生で成功する秘訣よりも、
失敗したときの立ち直りのほうが、ショーとして面白いからだ。
つまり、あなたは、
なぜこれが失敗したのか、なぜこれが成功したのか、
ということについて詳しくないと、
それらを書けないということだ。
あなたが中盤が苦手なのは、
成功への一直線ばかり想定しているからではないか?
もっと紆余曲折あるべきだ。
それが人生のリアルで、しかも面白い人生だ。
最短距離を求めよ、などという数学ではないはずだ。
2022年11月12日
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