2022年11月12日

失敗、失敗、成功、失敗

人生七転び八起だけど、二幕もそういう感じでいいんじゃない?


ハッピーエンドへの最短距離である必要はないと思う。
むしろ、
最短距離だけを疾走することが、
人生のシミュレーションとしていいと思えない。

「誰から見ても最短距離を進んだ男」の話は面白いかね。
「七転八倒する男」のほうが見ている分には面白いよね。

だから、そういった話の展開にするべきだ。
こうしてみよう、失敗した、
じゃあこれはどうか、ううむだめだ、
これはいけるんじゃない? おっ、いけそう。
いけたぞ! じゃあ次の段階は?
ううむ、やっぱだめだ、
そういう感じがいいんじゃないか。

そうしないと起伏なども作れない。
成功し続ける話は、起伏がない。

失敗、失敗、成功、のような、
リズムをつくれないと思う。

もちろん、
失敗、成功、成功とか、
失敗、失敗、成功、成功とか、
変拍子にしていってもよいし、
同じリズムにしていく必要もないだろう。

読まれないことが大事だ。
毎回成功しているならば、
「次は成功するんだろ?」って予測されてしまう。
成功と失敗が半々ならば、
「どっちに転ぶかわからない」となり、
その結果に緊張することになる。
失敗続きならば、成功に驚くかもしれない。

成功は失敗の苦さの上にあるから、
甘いのだと思うよ。
ただシュガーだけを描いても、
人生のシミュレーションとしては、
出来が悪いと思う。
(その一方で、甘い成功だけを描いて、
現実逃避をさせるものもある。
ざっくりいえばメアリースーだが、
それはここでは推奨しない)


書き手はついつい主人公と自分を同一視してしまう。
そしてプライドの高い書き手ほど、
苦労したが失敗する主人公を書きたがらないのではないか。
それは、主人公と自分を同一視している誤りと、
面白いものを書くべきなのに、ブライドを守っているだけという誤りの、
ふたつの誤りを起こしていると思う。

主人公と自分を同一視していると、
成功する自分しか書きたくないだろうからね。

それじゃ他者としては面白くない。
色んな苦労や失敗をしてほしいし、
だからこその成功が面白いのだ。
偶然成功するから「なぜ成功したのだろう?」と解明する面白さがあるのであって、
毎回成功するなら麻痺してしまうだろう。

そうした起伏こそが、
中盤にあるべきだということだ。


成功への最短距離はたぶん、映画じゃない。
すごい人のドキュメンタリーとしては面白いだろうが、
映画としては面白くないと思う。
もっと失敗して、立ち直るさまを描くべきだろう。
なぜなら、
人生で成功する秘訣よりも、
失敗したときの立ち直りのほうが、ショーとして面白いからだ。

つまり、あなたは、
なぜこれが失敗したのか、なぜこれが成功したのか、
ということについて詳しくないと、
それらを書けないということだ。

あなたが中盤が苦手なのは、
成功への一直線ばかり想定しているからではないか?
もっと紆余曲折あるべきだ。
それが人生のリアルで、しかも面白い人生だ。
最短距離を求めよ、などという数学ではないはずだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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