2022年11月13日

なぜ映画は結婚して終わりなのか

まあ切りがいいから、という程度だとは思うが、
逆に、人生において、
自分がまるで入れ替わるような大きな体験は、
恋愛が一番わかりやすいから、
だともいえる。


蝶とか、意味が分からないよね。
さなぎの中で一回液体に戻るんだぜ。
これまであった肉体が溶けてどろどろになって、
脳の記憶とかどうなるのかよくわからないが、
とにかく液体になって、
また一から構造化しなおすんだよな。

人間でこんなことが起こったら大変だ。
液体になってこぼれて足りなかったこととかを考えて、
恐怖に陥ってしまうよね。途中でストローとかさしたらどうなるのかとかね。

で、
人間で物理的にこんなことは起こらないが、
脳の中でそれは起こることがある。

それがカタルシスだ。

これまでの体験がまったく意味がなくなり、
新しい強烈な体験をすることで、
まったく自分が生まれ変わったようになること。

これがよくない方向に行くと、
たとえばストレスで鬱になり、
これまでと全く異なる人格になったりすることがある。
何かのトラウマで、全然違う人格に改造されてしまったようになることもある。
(戸塚ヨットスクールや軍隊教育もそうかもしれない)

そうじゃなくて、
カタルシスは、それの良い版だと思うとよい。
これまでうまくいかなかった人生が、
物語内の体験(事件の解決)をとおして、
これまでとまったく異なる人生に変わり、
これまでとはまったく異なる人格に生まれ変わること、
だと思うとよい。

それの、
分かりやすい例が、恋愛からの結婚ということだ。
つまり、
ほとんどの人の人生では、
恋愛と結婚が人生でもっとも大きなイベントであり、
それ以上に生まれ変わるような体験なんてない、
というリアリティの話である。

戸塚ヨットスクールで人格が変わるほどの体験は、
ほとんどの人はしていないということになる。

(ベトナム戦争でそういった人格改造はたくさんあっただろう。
だからベトナムのトラウマは映画の題材のひとつになった。
あるいは宗教による洗脳もそうだろう。
最近だと正義病や陰謀論であろうか)


だから、恋愛かつ結婚で、
終る物語というのは多い。

そうじゃない物語で、
これを超えるためには、
恋愛以上に、自分が溶解して、
新しく生まれ変わり、
それが過去のものよりよくなった、
ということを描けないと意味がない。

そしてそれを考えるのは、
少し考えてみればわかるが、
とても難易度が高いと思う。

壊れるのは簡単だよね。
尋常じゃない恐怖にさらされて、狂ってしまったとか、
ものすごい悲しみに襲われて、闇落ちしたとかね。
そういうことは難しくない。

だけど、
ものすごい体験をして、
カタルシスを得て、
よく生まれ変わった、というのはなかなかにむずかしい。
説得力がまず難しいだろう。

簡単なのは宗教体験とかだ。
バンジージャンプや宇宙へ行くこと、なども含まれるかもしれない。
それに匹敵する、
オリジナルの体験をつくり、
それでしか得られないカタルシスをつくらないといけないわけだ。

それは大変に難しいが、
完璧にできたら、名作の候補になるだろう。


で、
それが難しいから、
恋愛と結婚で保険を打っているんじゃないかな。
結婚しました、幸せー、
これまでの体験は全部意味がありましたー、
的な。

結婚以降に、
自分がまるで生まれ変わるような、
ものすごい体験があったら家庭が壊れるわな。
トラブルは避けたいものである、
という世間の空気もあって、
結婚以降のそれ以上のイベントも、
なかなか映画になりにくいんじゃないかなあ。

離婚とか連れ子とかの話が、恋愛ほど面白くならないのは、
まるで自分が溶けて生まれ変わるほどの体験をつくることが、
難しいからじゃないかと思うけどね。
まあ書き手の技量にもよるだろうが。



ということで、
めんどくさいので結婚でハッピーエンドにすると、
丸く収まるから、
というのが答えだろう。


逆に恋愛結婚を使わずに、
それくらい見事に落ちているエンディングをつくれるだろうか?
それは腕の見せ所だぞ。
posted by おおおかとしひこ at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック