2022年11月14日

次の展開を考えながら今を書く

当然なんだけど、なかなかできないよね。


展開部はとても難しい。
まずそもそも、大体の流れは考えておかないといけない。
それがないと、次にどこへいけばわからなくなり、
執筆は迷路に入ることになる。
「次に書くべきことが分からない」は、
執筆における一番あることで、
そしてもっとも脱出が難しいもののひとつである。

これを痛烈に経験すると、
「事前にプロットを練っておくこと」の意味、意義を理解することができる。

事前にプロットを練っておけ、ということは、
「そうしなければならないこと」という絶対法則ではなくて、
「そうしておかないとひどい目にあうぞ」という、
先輩からの助言にすぎない。


で、
ここからが本題なのだが、
いかに事前にプロットを練っていたとしても、
実際の執筆ではとても迷うことが多い。

ディテールを詰めていなかったこともあるし、
そもそもAがBするのを、Cしたほうがよくなる、
みたいなことに気づくこともあるし、
Bするのは同じでも、動機をPからQに変更したほうがよくなる、
なんてことに気づくこともあるからだ。
おおむねしか考えていないプロットに対して、
現場レベルでどうするかは、
執筆時に大きく変わることもある。

で、そんなことをずぶずぶやっていると、
次にどうするべきかわからなくなることが多い。
それらをまとめることに精いっぱいになり、
そのトンネルを抜けたら、
大筋しか決まっていないプロットに放り出されて、
細かいところは何も決まっていないところに差し掛かる。

だから、
細かいレベルの視点で執筆しながらも、
細かいレベルの次の展開は、
今考えながらやったほうがいいぞ、
という話である。


僕は今を書きながら、
次の細かい段取りをメモしながら、
同時進行していることがよくある。

プロット段階ではこう考えていたけど、
実際の実装でどうするかなんて考えてなくて、
こういう展開に細かく割っていかないとだめだ、
なんてことを、執筆レベルで気づいたりするからだ。

セリフや行動の細かいところはどうでもよく、
大筋のプロット段階のことをやる。
つまり、プロットがより細かく書き直されるわけだ。

プロットで「AとBがCのアイテムを渡して仲直りする」
いう風に書いてあったとしても、
どこで、どっちから、どのようにして渡すのかとか、
渡さないでしばらく隠す段階を入れるとか、
それがあることを向こうは知っているべきか知らないべきかとか、
そういうこまかいレベルに、
さらに割っていくわけだ。

そのようなことさえ決まってれば、
だいたいセリフと周囲の描写さえ気を付ければ書けるからだ。

逆にいうと、ガワに気を付けながら書けるくらいに、
プロットを細分化する、
といってもよい。


これらが決まってさえいれば、
何も考えずにただ書ける。
そういう風に、次の展開を頭に入れられる程度に、
細かくプロットを考えるべきである。

で、それは全体のプロットを書いているときは、
そこまで考えきれないので、
現場レベルで、
今やっていることと同時進行しながら、
次の段取りを組んでおく、ということだ。

これをやらないと、逆に、
プロット段階の大まかなものしかなくて、
大味の展開になってしまいがち。

現場レベルで面白くするにはどうしたらいいだろう、
ということを考えながら、
先を妄想することは、
現在をどのようにフィニッシュすることと関係してくる。
なぜなら今書いている部分が、
次の部分の直接の伏線になるわけだからね。
これありきで次があり、
前ありきで今がある。
そのようなストーリーの感じをつくるには、
その粒度を揃えなくてはならない。
だから、「つながっている」という感覚になると思う。


ということで、
筆がバンバン進んでいるときは、
勢いに任せていいが、
鈍ってきたときに、
「この先ってどうなっているんだろう」と思うことはとても大事だ。
それがディテールごと決まっていれば、
安心してフルスロットルで駆け抜けられだろう。
コーナーの出口さえ見えれば、
そこは全力でいけるからね。

逆に、今書いているところの出口を確定させるために、
次をつくっておくわけだ。

そうしておかないと、
「今書いているところだけ」を完成させようとしてしまう。

そうすると、それが完成するところまでは書けても、
その次どうしていいか途方に暮れてしまい、
それが挫折の大きな原因になると思うよ。


勢いよく書いたはいいが、
止まってしまったとき、
何をしていいかわからない人は多いと思う。

そこで脚本論や創作論を参考にして、
「次はこれを書くべきである」というのを探す人もいるかもしれない。
しかしそんなものに法則はない。
次に書くべきことが理論的に予言されるならば、
それはすでにパターンにはまっていることと同じことだ。

だから、「次に何を書くべきか」ということも、
実は創作の一部なのだ。
それすら新しくすることができるわけだ。


なので、
次をつくりながら今をつくる、
みたいなことだろう。
線路をつくりながら進む列車が、
昔のSFにあったような気がする。
そんな感じだ。
posted by おおおかとしひこ at 02:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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