2022年11月15日

みんな戦っている

戦っているのは主人公だけか?


主人公は戦う。
それは当然だ。
物語とは主人公が戦い、勝利を勝ち取るまでのお話である。

戦わない主人公の話は面白くない。
自らリスクを冒して、
大きなリターンを取りに行かないと面白くない。
それがご都合で勝利しても面白くないし、
その動機に感情移入していないと面白くない。
危険がないと面白くないし、
応援できるものでないと面白くないだろう。
(応援できるものとは、公明正大な正義とは必ずしも限らない)
もちろん、誰か他の人にやってもらうメアリースーは面白くない。

つまり、
面白い話とは、主人公自らが戦う話である。
「戦う」といっても剣や必殺技を使うばかりではない。
アクションシーンはなくてもよい。
抽象的に戦っていればよい。
たとえばつまらない仕事に耐えることだって戦うことだ。
それがとても面白い話ならば、
殴ったり爆発しなくても、面白い戦う話になるだろう。

さて。

短編だけだと、戦うのは主人公だけでも成立することがある。
他の人の戦いを描いている暇がないことが多いからだ。
(もちろん優秀な短編はその限りではない)

だけど、物語とはコンフリクトであったことを思い出せば、
少なくとも主人公とコンフリクトの相手
(敵、ライバルなど)も、
戦っているはずだ。
その戦いの結果、主人公は勝ち、コンフリクトの相手は負けるだけの話である。

つまり、
少なくともファイターは二人いるはずだ。

短編だけではこれくらいが限度だろうが、
長編ともなると、
登場人物が増え、
戦う人が増えてくる。

主人公サイドの協力者、
敵サイドの協力者、
両サイドに関係する人、
それらとは利害関係がない第三者など、
戦いに参加する人は増えてくる。

地下闘技場トーナメントばかりでなく、
スパイもの、時代劇、刑事もの、
などアクション色の強いものは必ずそうだ。
アクションだけでなく、
会社ものとか職業ものでも「戦う」ことについては同じである。
恋愛ものだって、恋を得るために戦うわけだね。

どんな意味であれ、
リスクを冒してリターンを取りに行く行動は、
すべて戦いだとすると、
すべての登場人物は、
なんらかの戦いをするために、
そのストーリーに参加している。

なぜその戦いをしているか、
が「動機」である。

動機のない人物は、ただのモブで人形だった。
そうではなく、
物語の中にいる人物は、
その独自の動機を持っていて、
意志をもって目的のために行動する人物であった。
そしてそれは、
二時間映画だと、5〜6人いると面白くなる、
(最低でも3〜4)
というのが僕の説である。

つまり、戦いの軸はひとつではないのだ。
Pという戦いにAとBが参加していて、
Qという戦いにCとDが参加していて、
Rという戦いにAとEとFが参加していていいのだ。
これらをサブプロットというのであった。

二時間の話にもなれば、
主人公のメインストーリーだけで成立しているわけではない。
他の登場人物のサブプロット含めて、
ぜんぶでストーリーだ。
三国志ほど登場人物はいなくてもいいが、
群雄割拠のほうが話全体は面白くなるわけだ。


さて。
あなたのストーリーの登場人物たちの目的は、
なにか?

主人公は分かった。たぶんできているだろう。
その他は?
なぜその人たちは、そこにいる?
どういう戦いに参加している?
最初から参加していなくてもいいよ。途中からでもいい。
主人公の思いに感化されて、俺もやるよ、
と一緒に参加してもいいんだよ。
それはドラマになるよね。

モブでない、すべての人は、
どういう目的のどういう戦いに参加しているだろうか?
まったく同じ目的の集団になっててもいいし、
微妙に異なる呉越同舟集団になっててもいい。
(もちろん後者のほうが腕がいる)

そして、
途中でその戦いは変化してもいい。
(ターニングポイント)
ただ、主人公の戦いが終わる前に終わってしまったら、
なんか面白くないかもね。
理想は、
主人公の戦いが終わると同時に、
全員の戦いが終わることだろうね。
それはそのほうが気持いいからだね。

勝手にフィニッシュせずに、
みんなで大団円を迎えられるのが、
理想のストーリーだろうね。


そのような意識で、
自分のストーリーを見直してみよう。
Aは戦っている? なんのために? 何目的で?
Bは戦っている? なんのために? 何目的で?
Cは……
そしてAの戦う場面はどういう場面で、
それは何回戦の戦いだろうか?
どこかで一回勝つのか? それとも負けつづきで、
ラスト大逆転するのか?
勝ったり負けたりするのか?
Bの戦う場面は……

などのようにリストアップしてみよう。

容易に想像できるように、
これは複雑な迷路のようになるだろう。

その編み物は、あなたが完成させるのである。
ストーリーは書く、ともいうし、
編纂する、ともいう。

後者はタペストリーを編むような気持ちで、
つくっていくことになるだろうね。


全員が戦っている。
そのように解釈しなおすと、
とても面白くなるぞ。

なぜその人は戦うのか?
どのような動機や目的の、どういう戦いか?
それはどういう発端で、どういう展開で、どういう結末に終わるのか?
そしてその一連はどのような意味があるのか?

主人公のものをメインプロット、メインテーマという。
他の登場人物のものをサブプロット、サブテーマという。
そして理想は、メインテーマの部分集合や補集合がサブテーマになっているものである。
全然関係ない話が混じってたら、別々の話で十分だろ、ということだ。
すべては「この話」にあるべくしてあるべきものであるべきだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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