2022年11月20日

あなたがやりたいことってこれだったの?

なんてことがよくあるよね。
さんざん理屈をこねて、
何もやってなかったやつが、
いざつくらせてみたら、こんなものしかできませんでした、
みたいなケース。


つまり、
「やりたいことをやる」から間違いなんだよね。
「やりたいことをやる必要はない」
「やるべきことをやる」ようにすればいいんだよ。
だって、「やりたいことをやって失敗したときのリスク」はとてもでかいからだ。
それがあなたのやりたかったこと?
と失望されながら言われることだろうからね。

そもそもやりたいことをやってはいけない。
それは、「主人公を自分にするべきではない」と、
同じくらいのことである。
客観性が失われるからである。
あなたがやりたかったことをやれる機会に恵まれたときは、
危険である。
客観性を失う可能性が高い。
無理や無茶をすることになる。
だってやりたいんだもの。

別にとてもやりたいわけではないが、
やると面白いことをやりなさい。

やりちんは、とてもやりたい女とやっているわけではないそうだ。
とてもやりたいわけではないが、
やれればラッキーくらいの女を、
無限に食っているそうだ。
だから余裕があり、まあこんなものか、
と思っているのだろう。

とてもやりたい女が来たら、逆に戸惑って、
何をすればよいかわからなくなり、
緊張して、
失敗するらしい。
なるほど、人間というのは完全体ではないのだ。


大工仕事は6割の力でお客さんを喜ばせるようにせよ、
という格言が大工の間にあるそうだ。
10割使える仕事が来たら、
舞い上がって喜んでしまうのだろう。
12割、15割だして、倒れてしまうに違いない。

そうじゃなくて、
6割でも成立するようなものをやって、
しかも世の中から10割やっているように見えることを、
見つけることだ。
得意なことがやれることである。

やりたいこととは、
これまでやれなかったことである。
だから思い入れが激しすぎる。

もちろん、やれたことしかできないなら、
一生やれたことのループでしかないから、
いつかそのループからちょっとずつ抜け出ないと、
次の新しいことはできない。
しかし、
「昔からやりたかったんだよねえ」は、
とても危険であると思ったほうがいい。

たいしてやりたかった人じゃない人に、
どうまとめる?って相談したら面白いかもしれない。
自分の思い入れがない分、
とてもドライに仕上げられることだろう。
それと自分が無理してしあげて、
事故ることとの天秤の間にいると、
冷静になれるかもね。

舞い上がり、足が浮くようなことは、
失敗前提ならばどんどんやりなさい。
しかし失敗できないときは、
やりたいことはやってはいけない。
「どうせ失敗するならやりたいことをやって」
というカミカゼ精神もやめとけ。
「ものすごいやりたいことではないが、
やると面白そうなもの」をやるのが、
一番いいと思っている。

あなたが得意なこと、よく知っていること、
詳しいことは、みんなは知らないんだ。
あなた専用のものをつくるのではないから、
あなた以外が全員楽しめるか、
という客観性をもってなければならない。
それを保つには、
あなたがものすごくやりたかったものから、
距離を置くべきだろう。

妥協しろと言ってるわけではない。
冷静さを保てる範囲で楽しめ、ということである。
そしてその冷静がいつか熱くなってくるくらい、
面白いものを思いついてみろ。
posted by おおおかとしひこ at 07:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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