なんてことがよくあるよね。
さんざん理屈をこねて、
何もやってなかったやつが、
いざつくらせてみたら、こんなものしかできませんでした、
みたいなケース。
つまり、
「やりたいことをやる」から間違いなんだよね。
「やりたいことをやる必要はない」
「やるべきことをやる」ようにすればいいんだよ。
だって、「やりたいことをやって失敗したときのリスク」はとてもでかいからだ。
それがあなたのやりたかったこと?
と失望されながら言われることだろうからね。
そもそもやりたいことをやってはいけない。
それは、「主人公を自分にするべきではない」と、
同じくらいのことである。
客観性が失われるからである。
あなたがやりたかったことをやれる機会に恵まれたときは、
危険である。
客観性を失う可能性が高い。
無理や無茶をすることになる。
だってやりたいんだもの。
別にとてもやりたいわけではないが、
やると面白いことをやりなさい。
やりちんは、とてもやりたい女とやっているわけではないそうだ。
とてもやりたいわけではないが、
やれればラッキーくらいの女を、
無限に食っているそうだ。
だから余裕があり、まあこんなものか、
と思っているのだろう。
とてもやりたい女が来たら、逆に戸惑って、
何をすればよいかわからなくなり、
緊張して、
失敗するらしい。
なるほど、人間というのは完全体ではないのだ。
大工仕事は6割の力でお客さんを喜ばせるようにせよ、
という格言が大工の間にあるそうだ。
10割使える仕事が来たら、
舞い上がって喜んでしまうのだろう。
12割、15割だして、倒れてしまうに違いない。
そうじゃなくて、
6割でも成立するようなものをやって、
しかも世の中から10割やっているように見えることを、
見つけることだ。
得意なことがやれることである。
やりたいこととは、
これまでやれなかったことである。
だから思い入れが激しすぎる。
もちろん、やれたことしかできないなら、
一生やれたことのループでしかないから、
いつかそのループからちょっとずつ抜け出ないと、
次の新しいことはできない。
しかし、
「昔からやりたかったんだよねえ」は、
とても危険であると思ったほうがいい。
たいしてやりたかった人じゃない人に、
どうまとめる?って相談したら面白いかもしれない。
自分の思い入れがない分、
とてもドライに仕上げられることだろう。
それと自分が無理してしあげて、
事故ることとの天秤の間にいると、
冷静になれるかもね。
舞い上がり、足が浮くようなことは、
失敗前提ならばどんどんやりなさい。
しかし失敗できないときは、
やりたいことはやってはいけない。
「どうせ失敗するならやりたいことをやって」
というカミカゼ精神もやめとけ。
「ものすごいやりたいことではないが、
やると面白そうなもの」をやるのが、
一番いいと思っている。
あなたが得意なこと、よく知っていること、
詳しいことは、みんなは知らないんだ。
あなた専用のものをつくるのではないから、
あなた以外が全員楽しめるか、
という客観性をもってなければならない。
それを保つには、
あなたがものすごくやりたかったものから、
距離を置くべきだろう。
妥協しろと言ってるわけではない。
冷静さを保てる範囲で楽しめ、ということである。
そしてその冷静がいつか熱くなってくるくらい、
面白いものを思いついてみろ。
2022年11月20日
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