あなたはたくさん書きたいことだろう。
名場面や名キャラクターや名セリフが、
あたまの中でたくさん飛び交っているに違いない。
なぜそれでも書けないのか?
パレットと絵にたとえて話をしてみる。
あなたが書きたいものは、赤だとしよう。
せいぜいオレンジと黄色があるくらいだ。
だけど、それで絵が描けるだろうか?
僕は無理だと思う。
絵には逆の青や緑や、黒や白が必要で、
赤だけでは絵を描けない。
なぜなら、
世界は赤だけでできていないからだ。
あなたが書きたいのだが、書けないという状況のとき、
赤が足りないわけではないと思う。
情熱、ネタ、妄想は頂点に達していて、
赤をやるなら任せろ、
くらいにはなっているだろう。
それでも書けないのはなぜかというと、
世界は赤だけではないからだ。
喜びを書きたいなら悲しみや寂しさや辛さが必要だ。
友情を書きたいなら孤独が必要だ。
逆なら逆が必要だ。
盛り上がりが書きたいなら、平凡が必要だ。
逆だけではない。
そもそもストーリーというのは、
七色が必要である。
喜怒哀楽、コメディリリーフ、
なるべくいろいろな感情を刺激するべきだといわれる。
つまり七色のパレットを用意しなければならないのに、
今あなたのパレットには、
山盛りになった赤しか置いていない状態なのだ。
では、
すべての色を用意するまで待つべきか?
僕はそれだと最初の情熱が冷めてしまうと思うので、
おすすめしていない。
飽きちゃうし。
赤を思いつき、書きたいとなったら、
せいぜい黄色とオレンジと、青くらいは準備して、
書き始めるべきだと思っている。
途中で、
「しまった緑が足りない、必要だ」と分かるので、
都度仕入れる、がベストだと考えている。
そのとき、緑をやったことがないから、
どう使っていいかわからない、となることがとても多い。
だから練習しておけ、という言い方もあるし、
「いや、その場でひねり出せ」ともいえる。
すべてを準備することはできない。
そういう現実的な立場で、
「必要ならばその場でつくる」も、
選択肢に入れておくべきだと思う。
あなたは初期の情熱で書きだすが、
「それとは違う場面」が必ず出てきて、
それは書けない、準備していない、
なんてことが出てくるかもしれない。
そして、「それは書きたかったことじゃない」と、
投げ出してしまったり、興味がなくなってしまうかもしれない。
その3シーンあとには、
あなたがほんとうにやりたかった赤が来るかもしれないというのに。
喜びの場面のために、泣かせる場面が必要なこともあるだろう。
アクションのために、ラブストーリーが必要なこともあろう。
緊張のために、笑いが必要なこともあろう。
クライマックスのために、謎解きが必要なこともあろう。
ストーリーは七色であるべきだ。
赤だけでは書けないのだ。
だけど、赤を書きたいならば、書き始めて、
足りない部分はアドリブで補えばいいのである。
その覚悟がない人は、あれが足りない、これは無理、
赤じゃないから面白くない、
となって、やめていってしまうのだろう。
ちなみに、
「赤と青だけで絵を描くとどうなるか」という実験をした、
横尾忠則という天才がいる。
https://www.1101.com/boukenooooo/
すげえな。
でもしなくていい苦労をしたのだろうね。
緑は必要、黒も白もいるわ、
ってことを理解するのに、大切な実験かもしれない。
そして、ないならこの場でその色をあるものからつくってみよう、
という精神も面白い。
でも世界は、やはり赤と青だけでは足りなくなるのだ。
これはこれで二色刷りみたいで面白いが、
「完全」ではないよね。
あなたの情熱は赤だけだ。
でもストーリーは一色じゃ書けない。
人生のいろんな断面を含むことになるからだ。
でも赤を書きたいならば、
書き続けることだ。
必要な絵の具は、その場で調達すればいいだけだ。
書き始めたのだが、書けなくなった人は、
初期衝動じゃない部分でつまづいて、
やめてしまうことがある。
せっかく妄想した面白そうなこと、
多少適当でも完結させなよ。
初期衝動を満足させる場面がくるまで、
技術で書き支えればいいのだ。
その技術は、たくさん短編を書くことでつくられるよ。
横尾忠則だって、技術で赤と青だけで書いた。
そういうこともできるようになる。
何もやっていない人が、
いきなりできることではない。
赤はいいぞ。もっとやれ。
あとは途中で探せ。
それだけで最後まで書ける。
そしてどんな達人でも、そうするしかないんだよね。
だって毎回違う話を書くんだもの。
小泉構文だけど、
「最後まで書いた人だけが、最後まで書いた人になる」のだ。
2022年11月22日
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