2022年11月07日

【薙刀式】コピー打鍵と暗記文の打鍵は違うか

暗記文の打鍵を、以下暗記打鍵と呼ぶことにしよう。

コピー打鍵も暗記打鍵も、
既成の文章を打つという意味では創作打鍵より遠いと思うかも知れない。
でも僕は、
暗記打鍵は、
コピー打鍵より創作打鍵に近いと考えている。


暗記打鍵は、
「頭から出たものが、
体を通って外に出る」
という感覚が、
創作打鍵に近いと思う。

頭から出たものは、
既成のものであろうが、創作であろうが、
「日本語として意味をなしている」
ことが重要だと僕は思う。


コピー打鍵のコツは、
極論すると「意味を理解しないこと」らしい。
意味を理解していては遅れるからだそうだ。
だから目で見て、
極論すると脳を介さず、
直接腕へ流し込む練習が有効らしい。
だから極論ワードはランダムでよくて、
意味をなさない電波文章のほうが、
意味に流されない分いい、すらある。

その最たるものがRTCでも使われてるウェザータイピングで、
上の句と下の句はランダムで組み合わされるから、
毎度毎度電波文章になる。
脳を介さない、運動神経のみの勝負としては正しい。

だけど僕は、
それが文章を書くことと遠すぎると思うのだ。


21世紀になって、
清書業務がどれくらい価値があるかはわからない。
あるとしても一部の仕事で、
一般の人の用途ではないだろうと想像する。
(一番ありそうなのが議事録だが、
コピータイピングより要約能力のほうが重要だろう)

創作打鍵といっても、
小説などのクリエイティブなことだけを指すわけではない。
そんなの1%くらいで、
99%は、
「自分の思うことを書くこと」だと僕は思う。
それには、
「脳から出た意味を腕に通すこと」のルートが重要で、
「目から入れて脳を経由せず腕に通すこと」のルートは、
まったく不要だと思う。

もちろん、
ある一定の速度(秒4〜5カナ? ローマ字なら秒7〜8.5打?)
くらいまでは、コピー打鍵の練習は有効で、
これは指の基礎力のためだ。


だがこれだけの練習は僕は勧めない。
同時並行で、
暗記打鍵をお勧めしたい。

脳から出たものが腕から出て行くルートを、
開拓して、安定化させるためだ。

タイパーが長文で自分の考えを著さないのは、
僕は勿体無いと考えているのだが、
彼らは馬鹿ではないと思うのに、
全然それらがないのは、
「創作打鍵に必要な回路を作ってない」
からではないかと考えている。

思考そのものの訓練はよそでするとしても、
その思考をどのように文章化するかは、
暗記打鍵による訓練が有効じゃないかなあと考える。


寺子屋では論語や古典を暗唱した。
暗唱は実は有効な文章訓練方法だと思う。

論語や古典が現代に有効かはおいといて、
「型をいくつか覚える」ことができるからだ。

今の文章のレベルをチェックしていないが、
かつては天声人語を書き写す、
という国語の課題があったくらいだ。
ある程度の文字数で主張をまとめる型を学ぶのには、
短くてしかも日替わりだからちょうどいいわけだ。

でも、書き写す課題で経験があると思うが、
「書写しさえすればOK」になってしまって、
意味を把握することなく、
ただの文字写しマシーンになってしまうことが、
よくある。

心はどこかに飛んでいって、手だけ課題をこなすやつ。
これは100%意味がない。
ただのコピー打鍵である。
字を書く練習ならばそれも有効だけど、
考えて吐き出す訓練をしているんだからね。

で、
天声人語を丸暗記するのはちょっと辛いから、
僕は暗記してる「好きな歌」を暗記打鍵するといいよ、
と勧めている。

僕の世代で言えばブルーハーツだな。
中島みゆきもいいよね。
歌を選ぶコツは英語のサビは意味ねえな、くらいかな。
ドルチェ&ガッバーナは、外来語が打てるようになる?(笑
秋元康は英語に頼らない歌詞が多くて好感が持てる。


知ってる、好きな歌ならば、
意味を込めて打鍵できる。
自分から出てきた意味を、手に乗せるルートをつくれる。
この訓練が大事だと思う。

歌謡タイピングみたいな早打ちは意味がない。
あれは暗記コピー打鍵になってて、
意味の鑑賞とかしてない速度だろう。


もしコピー打鍵が、
文章を脳に入れて意味を高速処理して、
その通りに出すことの訓練であれば、
コピー打鍵の訓練には意味があると思う。

でもどこかで意味の理解を放棄して、
サボって文字コピーだけするようになると思うんだよな。
それは、
本来の目的の創作打鍵から、
遠ざかる行為に過ぎないと思う。


なので、
短い文章を書き写すコピー打鍵と、
自分の思うことをいきなり書けという創作打鍵の間に、
暗記打鍵の練習段階を入れることを勧める。

ブルーハーツみたいな文章ばかり書く人になってしまうかも知れないが(笑、
それはそれで、守破離で自分の文章をつくってけばいいだろうね。


日本の国語教育は間違っていると僕は思っていて、
いきなり作文で自由に書け、
といわれて、
出来る子と出来ない子がいて、
出来ない子をフォローしてないんだよね。

なんでもいいと言われたって、
「何食べたい?」と聞かれて決められない人の方が多いんだよ。
だから、
なんでもいい、の段階の前を1ステップ用意すればいいのに、
と僕は思っている。

自由に走れるやつは全力で走ればいいんだけど、
うまく走れないやつをどう走れるようにしていくかを、
教えられる人はあまりいないんだよね。


なので、
タイピングの練習は、
コピー打鍵と、暗記打鍵を並行するべき、
というのが僕の考えだ。
暗記打鍵とコピー打鍵の距離よりも、
暗記打鍵と創作打鍵の距離の方が近い、
と僕は考える。

あなたの考えはどう?
これをすぐにタイピングできないのは、
創作打鍵のためのタイピングを習得できてないのと同じだぜ。
posted by おおおかとしひこ at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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