どこかで、
「ですます調は他者を意識した文体で、
である調は他者を介さないひとりごとの文体」
という主張を見たのだが探せない。
(追記: 岡さんからの情報。これだ。
https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/1589159748632743936?s=20&t=wYrw0aIVAE9Fiy3iiXjdvw
)
常体と丁寧体というより深く、
言葉の使いかたに入っていると思う。
で、薙刀式とこの関連を。
薙刀式では、
主客の左右の振り分けをしている。
よそよそしい二人称は左(きみ)、
親しみのある二人称は右(あなた、おまえ)、
よそよそしい一人称は左がまじる(ぼく、わたし、じぶん)、
本音の一人称は右のみ(おれ、われ、あたい)、
という感じだ。
左に助詞が多いから、左手で論をさばき、
右に動詞終止形が多いから、右手で結論を出す、
ようなものの感覚の延長だと思っている。
で、
ですます調は他人を意識してて、
である調は自分の独り言に近い、という論を見て、
薙刀式もそうなっていることに驚いた。
です、ますは左スタートの意識が強い。
ですね、ましたとかの活用でも左多めだ。
である、でない、などは右の意識が強い。
ほかに、だ、のだ、とかも右手だ。
この主観的、客観的、な感じと、
左右の振り分けはぼくはとても心地よい。
(左利きの人の感覚はどうだろう)
こういうことをやっている配列ってほぼないんだよね。
あまりそういうことを論じた話も聞かない。
だからオカルト扱いのジャンルかもしれない。
でも左右の感覚と言語の感覚って絶対関係していると思うんだがなあ。
逆にこういう感覚が薄い配列は、
使っててそんなに気持ちよくないんじゃないかな。
頭の中の何かしらを文字に出すときに、
そうした感覚との一致があったほうが、
考えを表しやすいと思うんだけどね。
物理的には、左からの右が速いから、
漢語に出てくる二文字目、
メジャーな、ん、い、う、く、つの5文字は右だ。
(残りのき、ち、っは左)
だから漢字はかなりの確率で左から右への流れになる。
また、
漢字で拗音からの接続には、う、く、つが多いため、
これらがゃゅょからアルペジオで打てるように配置されている。
なので多くの漢字熟語では、
左から右へのスムーズな流れがあり、
左右、左右、のような形で熟語を書くことが多い。
これと左でつなぎ、右でとどめ、
という感覚が一致している。
薙刀式は、
こうした左右の関係を利用?している。
だから直観に近くて?使いやすいのかもね。
別に左右関係ないよ、
という人もいるだろうし、
それが邪魔な人もいるかもしれない。
左右の考え方が僕と異なる人もいるかもしれない。
とくに左利きの人は違うかもね。
そういうことも、今後薙刀式の使い手が増えていくと、
分かることかもしれない。
とりあえず、
ですますは左重視、だであるは右重視、
というのがわかっておもしろい。
2022年11月07日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック