ときどきTwitterで見かけるのだが、
「親指シフト(やカナ配列)は覚えれば最強」
というようなフレーズだ。
最強かどうかを気にしてるのではない。
「覚えれば」という言葉の裏に潜む無意識についてだ。
世の中には、
覚えただけではダメで、使えないとダメなものがたくさんある。
車の運転はやり方を覚えただけではダメで、
身につけて使えないと意味がない。
空手の型は、やり方を覚えただけではダメで、
実際に使えないと意味がない。
字の書き方、絵の書き方は、やり方を覚えただけではダメで、
実際の場面で使えることに意味がある。
服のコーディネートは、パターンを覚えただけではテンプレで、
応用できないと使い物にならない。
ナンパのやり方は、覚えただけではダメで、
使いこなせないと意味がない。
頭で覚えただけではダメで、
体で咄嗟に使えないとダメなものたちだろう。
しかるに、
「配列を覚える」という言葉には、
あの複雑なランダムな配置を頭で覚えさえすれば、
使える、という誤ったイメージがあるように思う。
それは、
「使い方」を示した例があまりにも少なく、
配列図だけがデデンとあって、
これが全部ですみたいな顔をしてるからだろう。
これまで人生で出会った、
これに似たものを思い浮かべると、
元素の周期表、
クラスメートの名前と顔の一致、
街の地図、
などだろうか。
これらを丸暗記して、
都度都度記憶から呼び出して、
みたいなことをすることだ、
という似たイメージを持つのは、
配列図だけを見ていればそう思うに違いない。
この誤った先入観ゆえに、
誤った学習方法をとってしまう。
丸暗記である。
丸暗記そのものはつらいと思う。
無意味な数十個を記憶することは、
人類には無理なのだ。
周期表は語呂合わせがあったけど、
配列図の語呂合わせはなかなかに難しい。
しかも使い始めると、
丸暗記では歯が立たない。
頭で覚えたことと、実際の打鍵は違うからだ。
実際には、常時秒3回くらい記憶から呼び出せないと使えない。
それには大脳経由では遅い。
反射神経レベルで必要だ。
大脳から丸暗記の該当するものを探すには、
1秒や数秒かかるだろう。
クラスメートの名前を思い出すのにそれくらいかかっても許されるが、
秒5カナ(僕の書く速度)で書きたい時にそれではなんの意味もない。
それゆえ、
「親指シフト、ないしカナ配列は、覚えるのが難しい」
「配列を新しく覚えるのは、難しい」
と思ってしまうと思う。
「覚えきれなかった」と、
「頭で挫折した」という先入観で終わってしまう。
だからその人は、いつまで経っても、
配列は「覚える」もの、と思うのかもしれない。
配列を使うことは、
実践的な運動に近い。
覚えることよりも、身につけることに近い。
木登りを「覚える」とは言わない。
身につけるとまではいかないが、
「出来るようになる」とは言うと思う。
「味をしめる」という意味での「覚える」ならある。
「あいつ酒の味を覚えやがった」みたいにね。
「薙刀式(の良さ)を覚えたので、
今更qwertyローマ字にもどれん」
みたいに使うことはあるが、
これも誤解のもとで、
「そうか、(配列図を頭で)覚えれば使えるようになるのか」
と思われかねないんだよな。
ということで、
僕はなるべく「マスターする」「身につける」
を使うことにしている。
うっかり「覚える」を使っちゃうこともあるけど。
もし薙刀式に挫折した人がいたならば、
「覚える」をやろうとしてた可能性がある。
配列はお経の暗記ではなく、
次にどの枝に移るかという木登りに近いものだ。
身につけるやり方が間違っていた可能性を疑ったほうがいいのでは?
もっとも、
親指シフトやカナ入力(JISカナの文脈で使われることが多い)だと、
薙刀式よりもマスターには時間がかかるため、
挫折する確率はまあまああるけどね。
ダイエットは「覚える」のではなく、
「(やり方や習慣を)身につける」ものだ。
頭に入れただけで痩せるなら、俺も覚えたいわ。
これらの例は、たぶん全て同じ類のことだ。
「やってなんぼ」ということだろう。
配列を紹介するときに、
配列図しか出せないのは、
だからとても歯痒いんだよね。
やってなんぼの「動画」を大量にあげてるのは、
それが理由だ。
配列図を覚えるだけなら、
僕は親指シフト、新下駄、飛鳥、新JISは、
大体覚えている。
でも今はひとつも身についてない。
覚えたってそんなもんです。
女のモテ方なら僕はたくさん覚えているが、以下略。
理論と実践みたいなことだろうか。
覚えることは、所詮は机上の空論だ。
2022年11月08日
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