「私は今弱点を克服しようとしている」
と自覚し続けることしかないと思う。
人間、得意なことなら寝食を忘れて練習に励む。
才能というのは、
そのようにして鍛えられた、
自己鍛錬の結果でもある。
一万時間仮説に従えば、
一万時間は強制されてやるのではなく、
「え、気づいたらそれくらいやってたのか」
になるものだ。
強制された時間に比べて、
自主的に、勝手にやる時間は、
時の進みが速い。
夢中だからだね。
スーファミ時代のFF4くらいで、
プレイ時間が初めて出るようになったが、
僕は200時間くらいだった。
その50倍と思えば、
数年かければあっという間だろう。
FF4は200時間で飽きたけど、
それを50周してもなお飽きたらなく、
好きでやるほどの魅力が、
創作にはあるものだ。
そこまで飽きずにやれる人しか、
逆に向いてない。
俺は○○クリエイターになりたい、
努力するぞ、なんて人は、
1万時間は地獄で、
だから脱落する。
1万時間仮説は、ふるいだ。
たぶん1万人に1人くらいしか残らない。
よほど好きじゃないと続けられないからね。
さて、
そんな人でも、
なんでも出来る人ではない。
弱点が存在する。
避けてきた苦手ポイントを、
そろそろなんとかしてえなあ、
と客観的に思うことがある。
これまでは「多少苦労すれば乗り越えられる壁」
しか超えてこなかったから、
好きで1万時間を超えられたのだ。
苦痛じゃあ持たないからね。
だけどこの先やっていこうと思ったら、
「足りないところを補うこと」
「弱点の克服」
「強みになる必要はないが、せめて見れる程度にすること」
などが必要になってくる。
弱点強化月間のような感じ。
これをやろうと決意してからの、
苦痛たるや想像を絶するものがある。
強制されてやるものだからだ。
まあ強制してるのは自分なのだが。
絵で言えば、
左向きの顔が描ける人が右向きの顔を描けるようになるとか、
手を描けるようになるとか、
足を描けるようになるとか、
人の絡みを描けるようになるとか、
そういう感じのこと。
人は無意識に苦手なのを避けるから、
こうしたものを避けて1万時間やってきたはずだ。
だから得意なことはできるようになってるし、
だから苦手なことはできてない。
で、弱点克服にはコツはない。
できるようになるまでやるしかない。
なぜ出来ないかを自己分析して、
出来るようになるには何が必要かを、
分析しても良い。
そうして細かいステップに割れば、できるようになるかもだ。
しかしこの苦痛の時間を耐える方法はない。
唯一あるのが、
「今私は弱点を克服しようとしている」
という強い自覚のみである。
自分を甘やかしても、これだけは出来ない。
つらいからだ。
このつらさに意味があることを自覚することだけが、
つらさを耐える方法である。
つまり、近視眼的な距離を見るのではなく、
遠いところを見ながら歩くしかないのだ。
ただ、○時間やればこれは終わる、
などのように見積もりが立てられるものではない。
どう弱いのがどう強くなるかは、
法則がないからだ。
だから一旦苦痛の旅に出た者は、
その旅の終わりが予測できない。
辛さの原因はそこかもね。
それでもしばらく自覚を持って取り組んでいると、
少しだけ克服できたような気がする。
三日頑張る、一週間頑張るとか。
ちょっとだけ楽になった気がするとか。
そのときに、やって良かったと思う時が来る。
たいして克服出来てないとしても、
もう少し努力を投入すれば、
まだマシになるかも、という見積もりができる。
そうすると、苦痛が楽になる。
でもその見積もりはたいてい甘い。
なぜなら、克服出来てないところしか残ってないからだ。
前の克服と、次の克服は、違うことをするからだね。
それでも、
なお努力を続けるモチベは、
「私は今弱点を克服しようとしている」
という自覚しかないと思うよ。
これさえ克服出来たら最強になれるならやるけど、
最強はなかなか遠いよね。
それでもやるしかない。
理想の力を手に入れたければ。
代わりの人はいない。
自分だけオイシイ汁を吸って、
あとはアシスタントに任せられればいいのだが、
創作はそんなものではない。
全て自分の責任になるものだ。
逆に、すべて自分の責任になるから、
弱点を克服しようとするのだね。
2022年11月24日
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