というワードを見てびっくりする。
そんなのやる必要あんの?
かえであすかのブログを結構遡って読んでるのだが、
飛鳥配列は、マイナーカナの記憶維持のためには、
年間打鍵数○○という試算が出ている。
それくらいしないと忘れると。
つまり、
実用で使う文字数がそんなにないならば、
実用とは別途で、
記憶維持のための練習をしないと忘れてしまう、
という現象があるらしい。
それが真実ならば、
道具として半人前ではないかと思う。
かえであすかの濁音隣置は、
そうしたことに対処するためだそうだ。
なるほどその理屈はよくわかる。
カナはいいとしても、
漢直とかどうなんだろ?
漢直のブログなどの消失がはげしいので詳細は不明だけど、
漢直窓があるからギリなんとかなるのかしら。
それとも、毎日書き取りの時間がないと、
記憶維持できないのかな。
昔日は書き取りで維持していたものを、
漢直Winの開発で不要にしたのかな。
その辺の歴史的経緯を知らないのでなんともだが。
数々のブログの消失は、歴史の消失に等しい。
だれかどこかに貴重な情報はまとめてくれないかなあ。
ブツとして残ってる昭和の方が、
歴史的には残るんだろうな。
で、元に戻ると、
記憶維持のための練習が別途必要なんて、
ピアニスト並だよなあと思う。
三日サボったら指の感覚が変わるのと同様、
三日サボったら「ぞ」の位置が怪しくなるのかしらね。
薙刀式は、
清濁別置のマイナーカナをすべて過去のものにした、
というと言い過ぎかしら。
濁音も半濁音も小書きも同置だから、
新たに覚える必要すらないからね。
JISカナと薙刀式とシン蜂蜜小梅だけが、
濁音、半濁音、小書き同置に成功しているのでは?
(他に忘れてたらご指摘ください)
このことによる、
マイナーカナを覚える必要がない安心感は、
道具の信頼性や安定性に関わるのではないかな。
清濁別置は素晴らしい道具だけど、
維持費がかかるのならば、うむむとなってしまう。
だったらスポーツカーよりも、
メンテ不要の日本車みたいな道具の方が、
優秀ではないかなあ。
いや、清濁別置でも練習なしに記憶維持できるよ、
という人もいるだろうから、
この辺は「人による」のかも知れない。
しかしそれが判明するのは、
マスターしかかっている時という、
だいぶんコストを払ったあとだからなあ。
始める前に分かるといいのだが…
「俺の記憶能力は○○レベル」なんて判定機があればなあ。
親指シフトの半濁音と小書きは、
とても評判が悪い。
僕もやったけど覚えられなかった。
「ぬ」「む」「ね」あたりのマイナーカナも無理だったから、
そこまでやり込む前に辞めたのだが、
こりゃしんどそう、
という良くない印象しか持ってない。
薙刀式は、
そんな維持練習なしですむ、
とても良くできた配列だ。
ていうか、僕がマイナーカナを覚える能力がないから、
苦肉の策であったのだが。
必要は発明の母。
いつも弱者が発明をする。
ということで、薙刀式はいいぞ。
ぶっちゃけ小書きをQ同時で使うことはなくて、
いつも拗音外来音同時でしか使ってないけどね。
小書き単独で使う時って動作チェックのときだけだな。
2022年11月11日
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