長期的な物書きのスケジューリング。
長いものを書くとしよう。
15分ものとかじゃなくて、2時間とかだ。
プロットはできているものとする。
ていうか、そんなに長いものを書くのに、
プロットを完結しないで書くことは、自殺行為に等しい。
まあやってみ。絶対座礁するから。
プロットを書くことは、
結論を決めることだ。
これからやるすべての行為がその結論へ向かって進んでいることに、
責任と覚悟をとることが、
プロットを最後までつくっておくということだ。
つまり、ずっと先にやって来る「おわり」のやり方が決まっていて、
それにむけて進んでいくことが、
執筆という行為である。
出来てもないものを、アドリブでごまかしていたら、
絶対最後まで書けない。
一回はできたとしても数回、数十回はできまい。
だから僕はプロットを書くことをマストだと考えている。
どういう話で、どういう結論になり、
それはどのような全体的な意味になるのか、
が決まっていることが以下の前提だ。
ただ、結論やルートが決まっていたとしても、
細かい所までは決まっていないことも多い。
全体的な流れはあるのに、
実際に書くにはまだディテールが足りないことが、
わりとよくあるからだ。
全体的なことや重要なことは決まっているのに、
意外と細かいことが決まっていないことはとてもよくある。
誰がどこにいる人員配置とか、
具体的に何をどう使うかとか。
で、それを段取りということにしようか。
流れは決まっているが、実際の段取りは決まっていない、
という状態が、
わりと普通にあるということだ。
段取りは、
おそらく、それを書く直前に考えることになる。
プロットにある、ここからあそこまで、
こういう段取りで書こう、と、
書く直前に考えるわけである。
そしてそれはある有限の長さである。
すなわち、
「ここからあそこまで」と、
終着点が決まっている。
せいぜい、「あのへんまで」だ。
最後まできっちりディテールを決められず、
場当たり的に段取りをつくっていくことになる。
それが第一稿というものである。
たとえば、
プロットでは数行の部分を、
3シーン程度で書くことになったとする。
僕は、書く人間の集中力は、
数シーンしか持たないと思っている。
10シーンも一気に書けないだろうと思う。
だから、せいぜい数シーンを一気書きすることになる。
このとき、数シーンの段取りをまず頭の中で構築する。
メモを取ってもよい。ていうか取る。
その数シーンの細かい段取りができたときに、
はじめてまともに書き始めてよい。
で、書く。
書いたら、
段取りがまだできていないところに、
到達したはずだ。
そしてその日の執筆は終わりにして、
翌日、
また「ここからあそこまで行こう」と思って、
数シーンの段取りを考える、
という繰り返しが執筆だ、
という話である。
つまり、
その日にやることは、
全体のプロットを頭に入れつつ、
今日の到達点を決めて、
そこまでの段取りを組み、
そこにたどり着く、
を、延々繰り返す、
ということである。
それが執筆生活だ。
その日中に、段取りが思いつかないこともある。
きりのいいところまでできているほうがよい。
出来てないところまでたどり着いてしまったときに、
きりがよくないと、うまく次につなげないからだ。
つまり、
段取りは、きりのいい所まで組んでおくとよい。
大体こうなる、という全体プロットに対して、
誰がこうして、次に誰がこうして、
そしてこれになり、なぜならこうだからだ……
のような、細かい具体を、
きりのいいところまで決めておかないと、
必ず迷子になるだろうね。
そして、「段取りを決めたところまで書き終えたぞ」
となったときに、
はじめて「よし、次の段取りを考えよう」
ということになるわけだ。
この繰り返しをしているときに、
時々もっと全体が見えたいことがあるだろう。
そのときに、第一ターニングポイント、
ミッドポイント、第二ターニングポイントを、
俯瞰しようぜ、
というのが三幕構成理論なわけだ。
逆にこの程度にしか、三幕構成は効かないんだよね。
万能理論ではなくて、
全体の結節点を決めておこう、ということに過ぎないからね。
その一番大きなレベルでの俯瞰と、
もう少しちいさなレベルでのブロック単位での俯瞰と、
現場の段取りのようなものとを自由に行き来して考え、
レベルが違うものの粒度を混乱しないようにしないと、
全体をうまくとらえることはできないと思う。
で、
今日も段取りを終えたぞ、
寝よう、
そして起きたら今日の段取りを考えよう、
書こう、
……
という繰り返しを延々やると、
いつの間にか完結しているよ、
という話。
何回これをループすれば完成するかは、
一日の分量と全体の分量で決まるだろう。
あなたが段取りをうまく決められるかも関係する。
一日白紙の前でうなったとしても、
その日中にできないことだってあるしね。
そんなこんなで、
毎日があるぜ、
という話。
執筆中は、
混乱しがちだ。
俯瞰できなかったり、
目の前が見えていなかったりする。
それでも、
こうしたテンポを意識しておくと、
くじけずに、淡々と最後までいけるぜ、
という話だ。
それは、
ある程度慣れもいると思う。
「完結させる慣れ」ね。
それが分かっていると、
「ああ、今自分はこのあたりだな」
という見積もりが出来て、余裕が出る。
経験者ほど強いのは、こういうところだね。
2022年11月27日
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