小学生のころ、将棋とかやっただろう。
途中で負けそうになって、
盤をひっくり返した人もいるかもしれない。
そういう人は、シナリオを書くのに向いていない。
あることを計画する。
一個ずつ綿密に考える。
そして成功に導く。
無理や矛盾といったものを注意深く取り除き、
しかも感動や笑いや感心や涙を誘うものにする。
人間を深く理解した、なるほどというものに仕上げる。
シナリオとは一種のパズルである。
将棋のような緻密な過程を踏む。
シナリオがうまくまとまらない人は、
将棋盤を途中でひっくり返す人に似ている。
たいてい放り出す。
話の途中で、
めちゃくちゃになって終わるパターンも同様だ。
ああぶん投げたな、というやつだ。
せっかく作ってきた綿密な計画を、
盤をひっくり返してしまったのだろう。
最近だとなんだろう。
ちょっと前だが、ガンツはひどかった。
ファイアパンチもひどかったが、
チェンソーマンでも似たようなことがあったらしい。
もう興味がないので追っかけてないけどね。
長期連載ではそういうこともあるだろう。
最後の一手まで計算されつくした、極上の体験。
それこそがシナリオが提供するべきことだ。
逆に、他のパートがどれだけ頑張ってもこれは出来ない。
撮影や照明でどれだけ頑張っても、
ワンカットワンカットはきれいだけどそれだけだ。
美術がどれだけ頑張っても装置は可能だが、それだけだ。
俳優がどれだけ頑張っても同様。
衣装や音楽や、同様。
名監督がどんなに演出しようが、
シナリオが将棋盤をひっくり返していたら、
何もできなくなるだろう。
シナリオだけが、
最後まで将棋をする必要がある。
詰みまでもっていかなければならない。
「チェックメイトだぜ」になるまで、
綿密な計画をもって、自然に無理なく、
しかもエンターテイメントにしないといけない。
それを途中で放り投げるやつは、
脚本家に向いていない。
必要とあらば、一手目から全部やりなおすことすら、
脚本構築にはある。
イライラするやつには、脚本は向いていないのだろうね。
結局、頭から湯気を出しながら、
冷静に考えるしかないのだ。
2022年11月29日
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