なんでも自由にやってください、というのは難しい。
とっかかりがないからだ。
でも「山の手線しばりで面白い話をつくってください」
と言われると、なんか出来そうな気がする。
何か制限を課すことは、
創作を豊かにする可能性がある。
「必ず一回はセックスする縛り」というもので、
かつてピンク映画という映画ジャンルがあった。
セックスさえすれば他になにしてもいいでしょ、
というのを逆手にとって、
文学的なことをしたやつらがいる。
そのへんは僕は詳しくないので、各自調べて。
「スポーツ競技で決着をつける縛り」が、
スポーツものだよね。
その制限があったほうが、
「化け物みたいなキャラ」とか、
「超変態キャラ」とか、
「すさまじい天才キャラ」とか、
個性をあふれさせることが出来る。
あなたが何も思いつかないならば、
自分に縛りをかけてみよう。
そしてその縛りを明言する必要はない。
自分の中でとどめておけば、
これはこういう縛りなのだ、
と見破られないかぎり、面白い趣向に見えているに違いない。
隣の家縛りとかでも、
単純に面白い話になるかもしれない。
80年代のラブコメみたいに窓から伝ってもいいし、
隣に宇宙人が引っ越してきた話にして、
ホームパーティーに呼ばれた話にしてもいいわけだ。
逆に、
その縛りから、
いくつおもしろいストーリーを思いつけるかを、
やってみてもよい。
ビルの壁面でしか起こらない話とか、
タクシーの中のみの話とか、
スマホを一切使わない話とか、
男しか出ない話とか、
女しか出ない話とか、
なんでもいいんだよ。
「こういう縛りで楽しんでみよう」というのは、
一種の高度な遊びなんだよね。
こういうものを見た。
「脅迫文ワークショップ」。
https://twitter.com/tomozh/status/1591338995535187968?s=20&t=Yy_od_6LvG2AmNyvErdbsg
新聞や雑誌が適当に集めてあって、
それを切り抜いて、脅迫文をつくって遊ぼうぜ、
という試みだ。
これも、「切り抜き」という制限をかけた状態で、
いかに面白い脅迫文をつくるかという、
大人の遊びなわけだ。
これも、その制限を公開しなければ、
「なんだかおもしろい文章だぞ」
という結果だけが出てくるものになるだろう。
どうせ「自由にやってね」なんてやっても、
自由に出来ないのだ。
何か制限を自分に課してみてはどうだろう。
ジャンルを縛るのは簡単なことだが、
別の縛りをつくってもいいんだぜ。
セリフの頭文字を50音順にする、
とか、トンチキなものでもやってみるとおもしろい遊びになるよ。
俳句は、575にする制限の遊びである。
それだけでも小宇宙になるんだよ。
映画とどっちが面白いか、といわれると、
どっちも、という答えになるよね。
文字の数は問題じゃなくて、
面白さこそがポイントになるわけだ。
もちろん、制限なしで面白いものを書くのも練習になる。
しかし、
たまには制限を課してみたまえ。
夜限定の話とか、
冬しか出来ない話とか、
なんでもいいよ。
監視カメラだけの映画とか、
PC画面だけの映画とかあったよね。
そういうことでもいい。
で、途中で難しくなったらその縛りを外してもいいんだぜ。
たいていはその縛りの範囲内でやったほうが面白くなるんだけどね。
俳句だとおもったら急に文字が増えるよりも、
575の宇宙のほうがいい、という事と同じだね。
新聞や雑誌の切り抜き縛りの脅迫文が、
急にテキストのコピペOKになったら、
急につまらなくなるよね。
制限を課そう。
その中のほうが、意外と面白いアイデアが出ることがある。
2022年11月30日
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