2022年11月16日

三幕が詰まらない珍しい構造(「ベイビーブローカー」評)

ふらりと寄った神楽坂ギンレイホール、閉館だと知った。
東京に出てきた二十年前、助監督の頃よく通ったな。
木製の調度品が、昔はしょぼいと感じたのに、
今となっては貴重品なのになあ。
またどこかで復活するようなので、待つとするか。

さて、是枝作品はどうも合わない。
それでも中盤くらいまでは面白いと思ったよ。
でもなんだろ、GPSがバレたあたりから、
全然面白く無くなってしまった。
そしてそのまま盛り上がらずに打ち切りみたいなエンド。

なんなんこれ?
以下ネタバレ。


三幕ってさ、
映画のクライマックスじゃん?

ヒロインが、赤ちゃんを渡すのか渡さないのか、
が重大な決断になるはずじゃない?
それが映画のテーマでしょ?

そのために作った、
枷であるところの、「二度とこの子に会わせない」が、
急に軟化して、なんなんそれってなるわな。

ソンガンホがラストに捕まらないために、
ヤクザのサブプロット話をもってきたのか?
あのサブプロットの意味って何?

観覧車のプロポーズの意味って何?
日本のドラマにありがちな、
「俺たち家族ってよく知らないからさ、
だから家族をつくろうぜ、
こうだったらよかったなってやつ」
みたいに行かないのは評価に値するが、
このラストを見た今では、
そうまとめとけやって思ってしまう。


この物語のセンタークエスチョンはなに?

赤ん坊は売られるのか?
ヒロインは赤ん坊を手放すのか?
ヒロインは捕まるのか?
ブローカーたちは捕まるのか?
殺された男の妻の息子買い取りは成功するのか?
売る現場を刑事は現行犯逮捕できるのか?

だよね。
そこに、猛烈な興味が起きないんだよね。

ただそこで起こってることを眺める傍観者になってしまって、
「自分がこの人だったらどうするだろう?」
と考えるほどには、
どの登場人物の中にも入れない。

せいぜい、赤ん坊は手渡してほしくないなあ、
と思うくらい。
でも条件があっさり覆されて、
どこにも気持ちの置き場がなくなってしまう。


第二ターニングポイントが、
つまりは存在しないのだ。
センタークエスチョンはなに?
どうすればこの映画は終わり?

不思議な旅をした5人で、
家族になればハッピーエンドなんじゃないの?

人生の出口を見失った、
終わってない物語に見えた。

不思議だな、
それまですごい気合入って作ってたように見えたのに、
モーテルの向かいの屋上で、
女たちが掴み合いをしたあたりから、
急に詰まらなくなってしまった。

なんでやろ?

気になるけど、詰まらなさを分析するためにもう一回見る気はしない。

登場人物がどんどん増えてくのも大変気になった。
いつになったら収束するのかと思ったら、
収束しなかったね。
発散オチ(落ちてない)とでもいうべきかね。


どういう経緯で韓国で作ったかは分からない。
日本映画じゃ無理な題材だったのかな?
韓国人も、是枝監督なら、と諸手をあげて迎えたのに、
こんながっかり作品を作られたら拍子抜けじゃない?

海街Diaryも万引き家族も、
僕はハズレ映画だと思う。
今回もハズレ映画だ。

あれ?当たりってあったっけ?

「生まれてきてくれてありがとう」の山?が、
唐突すぎて、
これなにかの映画で部屋でテント張る場面と似てね?と思って、
寒くて死にそうだった。


絵はいい。芝居もいい。
問題は脚本だ。


ペドゥナ老けたなあ。
昔の僕の彼女が歳とったらこんな感じに老けるんだろうなあ、
って感じに老けてて、かなり生っぽかったくらいだな、
気になったのは。

オリジナル脚本で映画撮らせてもらってうらやましい。
でもつまんない脚本で、
なんで撮らせるんだろう?
もっと面白い脚本書くやつに撮らせろよな。
posted by おおおかとしひこ at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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