ふらりと寄った神楽坂ギンレイホール、閉館だと知った。
東京に出てきた二十年前、助監督の頃よく通ったな。
木製の調度品が、昔はしょぼいと感じたのに、
今となっては貴重品なのになあ。
またどこかで復活するようなので、待つとするか。
さて、是枝作品はどうも合わない。
それでも中盤くらいまでは面白いと思ったよ。
でもなんだろ、GPSがバレたあたりから、
全然面白く無くなってしまった。
そしてそのまま盛り上がらずに打ち切りみたいなエンド。
なんなんこれ?
以下ネタバレ。
三幕ってさ、
映画のクライマックスじゃん?
ヒロインが、赤ちゃんを渡すのか渡さないのか、
が重大な決断になるはずじゃない?
それが映画のテーマでしょ?
そのために作った、
枷であるところの、「二度とこの子に会わせない」が、
急に軟化して、なんなんそれってなるわな。
ソンガンホがラストに捕まらないために、
ヤクザのサブプロット話をもってきたのか?
あのサブプロットの意味って何?
観覧車のプロポーズの意味って何?
日本のドラマにありがちな、
「俺たち家族ってよく知らないからさ、
だから家族をつくろうぜ、
こうだったらよかったなってやつ」
みたいに行かないのは評価に値するが、
このラストを見た今では、
そうまとめとけやって思ってしまう。
この物語のセンタークエスチョンはなに?
赤ん坊は売られるのか?
ヒロインは赤ん坊を手放すのか?
ヒロインは捕まるのか?
ブローカーたちは捕まるのか?
殺された男の妻の息子買い取りは成功するのか?
売る現場を刑事は現行犯逮捕できるのか?
だよね。
そこに、猛烈な興味が起きないんだよね。
ただそこで起こってることを眺める傍観者になってしまって、
「自分がこの人だったらどうするだろう?」
と考えるほどには、
どの登場人物の中にも入れない。
せいぜい、赤ん坊は手渡してほしくないなあ、
と思うくらい。
でも条件があっさり覆されて、
どこにも気持ちの置き場がなくなってしまう。
第二ターニングポイントが、
つまりは存在しないのだ。
センタークエスチョンはなに?
どうすればこの映画は終わり?
不思議な旅をした5人で、
家族になればハッピーエンドなんじゃないの?
人生の出口を見失った、
終わってない物語に見えた。
不思議だな、
それまですごい気合入って作ってたように見えたのに、
モーテルの向かいの屋上で、
女たちが掴み合いをしたあたりから、
急に詰まらなくなってしまった。
なんでやろ?
気になるけど、詰まらなさを分析するためにもう一回見る気はしない。
登場人物がどんどん増えてくのも大変気になった。
いつになったら収束するのかと思ったら、
収束しなかったね。
発散オチ(落ちてない)とでもいうべきかね。
どういう経緯で韓国で作ったかは分からない。
日本映画じゃ無理な題材だったのかな?
韓国人も、是枝監督なら、と諸手をあげて迎えたのに、
こんながっかり作品を作られたら拍子抜けじゃない?
海街Diaryも万引き家族も、
僕はハズレ映画だと思う。
今回もハズレ映画だ。
あれ?当たりってあったっけ?
「生まれてきてくれてありがとう」の山?が、
唐突すぎて、
これなにかの映画で部屋でテント張る場面と似てね?と思って、
寒くて死にそうだった。
絵はいい。芝居もいい。
問題は脚本だ。
ペドゥナ老けたなあ。
昔の僕の彼女が歳とったらこんな感じに老けるんだろうなあ、
って感じに老けてて、かなり生っぽかったくらいだな、
気になったのは。
オリジナル脚本で映画撮らせてもらってうらやましい。
でもつまんない脚本で、
なんで撮らせるんだろう?
もっと面白い脚本書くやつに撮らせろよな。
2022年11月16日
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