2022年11月23日

デザインのレッスン

また最悪なデザインを見つけてしまった。
どうすればよくなる?
今回は言葉だけでなんとかしてみよう。
次の文章を書き換えて、
もっと機能するようにしなさい。
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まず何がダメか考える。
「我々がまず何をするべきか分らない」
「我々がこの警告に該当している人物かどうか分らない」
ことに尽きるのではないか。

それが分るのはほぼほぼ最後まで読み終えたときで、
そんなこと知っとるわ、
となって終了することが問題だ。
つまり、
「読んで損した」ことになっているのだ。

これはデザインの敗北である。
人に足を止めてもらい、目を止めてもらったにもかかわらず、
反感を買ってどうするのだ、ということだ。

良いデザインは、
伝達がスムーズに行われるだけでなく、
必要な人には強く届き、
とくに必要ない人には届かなくても構わない、
という構造をしているべきだ。

それはチャンネルを選択して選択的に広告することとは異なる。
なぜなら、それが出来ていなければ、
無限にターゲットを分割していかないといけないからだ。
そうではなく、公に広められるものは、
それがそのような形になっていることが理想なのである。
そうしたら選別の手間もいらなくなるし。

さて、一応テキストに起こしておくか。

踏切には、列車の車輪が
通過する溝があります。
自転車・車椅子・ベビーカー
などで通行する際は、
溝に注意してください。

まず「溝」のことがなんだか、文章を読んだだけでは分らない。
まあ見ればあれだと思う。
あそこに足がはまって抜けなくなったりしたら、
列車に足を切断される事故になるわけだ。
そうでなくても転んで起き上がれなくなったら、
列車にひき殺されることは間違いない。

東急のこの表示は、
「危険を示しましたからね」という、
今日本を覆っている「やった感」の権化である。
やったから大事なのではない。
機能しないと意味がないし、
機能しないならこんな看板邪魔だから撤去しちまえ。
機能するために、
デザインが必要なのだ。

デザインとは、誤解されがちだが、
ビジュアル上の何かではない。
機能するように設計すること、という定義でいいと思う。

色や形でそれが達成できるならビジュアルデザインだし、
文章で達成できるならそれもデザインである。
どういうものをつかって、からデザインは始まっているわけだ。

ここでは文章で添削してみよう。
どう機能させればいいか?
はいシンキングタイム。












以下僕の解答例。


レール溝は危険です。
自転車、車椅子、ベビーカーなどが、
列車の通行するレールの溝にはまると、
大変危険です。ご注意ください。


まず結論から述べる。
溝といわれてもなんのことやら、
となるので、レールまたは車輪を出せば意味は通じる。
しかし車輪はその場にないものだから抽象度が高く、
だとすると、レールというその場にあるもので表現するべきだ。
ああ、レールのところに列車の車輪が通過できるような、
溝があるよね、あそこにはまると危険だよな、
と思わせるのに、秒で伝えるには、
まず結論から述べるべきである。
すでに東急は、この一行だけで説明責任を果たせるのだ。

こういうときは「つたない英語」で考えるとよい。
溝は単語を知らないのでとりあえずネットで調べると、
grooveが出てきたので、
DANGER GROOVE
で結論は言えることに気づこう。

あとは溝ってなんだよ、という誤解をされないように、
レールの、という修飾語をつければいいわけだ。

そのあとは、
「どういう事故があり得るか」をイメージさせるようにすれば、
頭の中で絵が出てくる。
もし自転車、車いす、ベビーカーに関わっていなくても、
他人のそれが事故ったら、
というイメージをしやすいから、
自分の場合だけでなく他人の事故でも助けに入らないとなあ、
なんて得する情報になるだろう。

つまり、
警告や注意は、絵を浮かばせるべきだ。

文章だから絵が出ないわけではない。
自転車や車椅子やベビーカーが溝にはまる事故を絵に描くのは逆に難しい。
分りにくい絵になるだろう。
となると、
短いコミュニケーションで絵を描かせればよい。
読んだ人の頭の中にだ。

溝にはまったらやべえぞ、
という危険を認識させることが目的であって、
警告したから免責、ということが目的ではない。
いや、誰でも知ってるでしょ、は通じない。
世間には無知な人はいるものだ。
言われて、たしかにそれは危険だな、
と知る人もいる。
事実、僕は車椅子があの溝にはまることまで想像できていなかった。
それくらいには、想像をしてもらうことは重要だと思うよ。



文章力とはなんだろう。
まどろっこしいことをせずに、
ずばりとまっすぐに伝えることだと思うよ。

東急は文章が下手なのだ。
もっとうまい人に頼みなさい。
適当に書けばいいってもんじゃないんだぜ。
(僕が東急のデザインによく文句をいうのは、
東急沿線に住んでいるからです。
東急が特別劣っているかでいうと、
優秀なほうだとは思う。
先日飯田橋の乗り換えに大変苦労したが、
写真を撮り忘れたのでここでは記事化できないのがむかつく)



客観的に事実が書かれているから、
それで用を足せると思っているとしたら、
表現の素人である。

表現は、感情とともに、
心の深いところに届かなくてはならない。
この場合は恐怖や警告や注意である。


posted by おおおかとしひこ at 17:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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