だと思うのだ。
下手な人は、交通整理できなくて、
自滅することがよくあるんじゃないか。
多分、メインストーリーだけ書いてても、
そういうことが時々ある。
いくつかのサブプロットが同時進行するとさらにだ。
登場人物がとても多くなってきたら、
半分くらいは「いるけど喋らない」みたいなモブの存在になってしまうことが多い。
でも全員喋ったら収拾がつかないというね。
だから僕は登場人物は6人程度まで、
という法則を考えている。
レッドクリフをつくったときに、
三国志を知らないハリウッドプロデューサーが、
「登場人物を減らせ」といって物議をかもしたことがあったね。
あまりにも多いと、無駄になるんだよね。
たとえ6人だとしても、
それぞれがどう考えていて、
どういう行動をするかとか、
その人の中で矛盾しないようになっているかとかを、
いちいちチェックすることはほんとうに難しい。
とはいえ、その場その場でライブ感的に言いたいことだけを書いてたら、
まとまるものもカオスに発散してしまうだろう。
ということは、
計画的かつ柔軟にやらないと、
うまくストーリーは書けないということになる。
で、その塩梅を見つけることがとても難しいんだよね。
ここはメインだけ進めればよいとか、
ここは棒立ちしているサブを動かさないととか、
それはもうオーケストラの指揮者のようにならないと、
全体をうまくさばけないものなのだ。
だから、それは慣れしかないんだよね。
全体をさばく経験は、全体をさばくことでしか得られない。
もちろん部分的なものをさばくことをやる経験は、
ないよりはあったほうがいいが、
小規模の店をやることと、
大規模の店をやることは違うはずし、
小規模の経験がそのまま使えるわけでもないことは、
想像すればわかるだろう。
とはいえ、
まったくの未経験よりは、
小規模の経験はしておいたほうがいいだろうな、
くらいでしかない。
どういうバランスで全体を見渡すべきか、
どういう目端を利かせればいいか、
いつメインに集中すればいいか、
などは、勘と経験しかないよね。
熟練者でもときどき間違うことすらあるし。
なので、
もう慣れしかないので、
どんどん書け、という以外にないのだ。
で、部分問題としての、
短編を、どんどん書くしかないんだよ。
メインプロットとサブプロットが1本ずつあるやつで、
同時進行することすら、
慣れていないと簡単に混同する。
誰がどういうことをおもってて、何目的で、
なんてことを表に書いて整理しないと、
絶対自分でわからなくなってしまう。
3本、4本のサブプロットが同時進行したとしたら、
メインとどれくらいの力バランスにするかも考えないといけない。
メインが目立たなくなって、サブがメインに見えてしまうことは、
長いストーリーにおいてよくある間違いのひとつだ。
理想は太いメインと、おかずのようなサブプロットが、
うまく織りなす綾のようなものだが、
それは全体を指揮して織りなす経験がないと、
難しいと思う。
それには、同時進行するいくつかの要素を、
うまく同時に扱うことでしか、
訓練できないというわけ。
一人っ子の食卓と、兄弟が数いる食卓は、
喋り方が違うそうだ。
一人っ子は話せば聞いてくれるから、
積極的にあまりしゃべらなくなるらしい。
兄弟がたくさんいる家庭で育つと、
うまいこと話題を取って喋らないと、
喋る権利が得られないので、
他人の話を奪うことに長けるそうだ。
そういうことをし慣れている人と、
そうじゃない人では、
慣れている人のほうが、
同時進行する何かを同時に扱いやすいかもしれない。
僕はお手玉が苦手だ。
同時進行するいくつかのものを、
うまく扱えないような気がする。
それでもストーリーでそれが出来るのは、
慣れでしかないかもしれないね。
でも、
いくらあなたが同時進行できる複数のものを書けたとしても、
観客が同時に理解できるのはせいぜい3要素くらいだろう。
だからうまくフォーカスできないと、
ただややこしい話で終わってしまうだろう。
複雑だがわかりやすい話にしなければならないので、
それはまた別の語り口をマスターしないといけなくなるだろうね。
つまりそれって結局、うまく複雑なものを整理する力なんだけど。
お手玉を想像しよう。
目で追えるのは2個くらいだろう。
3個になると、どこかで目を離さないといけなくなる。
4個になるともうどこを見ていいかわからなくなる。
それでもそれぞれの玉は物理に従って動いてて、
手は都度都度受け止めて投げ上げている。
それをしながらも見ている人をどう誘導するか、
を考えながら書くことは、
さながらサーカスだと僕は思うけどね。
つまりサーカスなのだ。書き物というのは。
もしそういう風に考えたことがないならば、
サーカスだと思って書くとよい。
複数のことを同時に進行させることは、
焦点を絞ることや、ミスリードが必須になってくるよね。
そういうことがうまくないと、
単純でストレートな話しか書けないだろう。
そういうことを自分で試すために、
わざと複雑な話を書くことは、
練習によいぞ。
短編でも複雑な構造にすることは可能だ。
2022年12月06日
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