2022年12月06日

ストーリーを書くことが難しいのは扱う要素が多いから

だと思うのだ。
下手な人は、交通整理できなくて、
自滅することがよくあるんじゃないか。


多分、メインストーリーだけ書いてても、
そういうことが時々ある。
いくつかのサブプロットが同時進行するとさらにだ。
登場人物がとても多くなってきたら、
半分くらいは「いるけど喋らない」みたいなモブの存在になってしまうことが多い。
でも全員喋ったら収拾がつかないというね。

だから僕は登場人物は6人程度まで、
という法則を考えている。
レッドクリフをつくったときに、
三国志を知らないハリウッドプロデューサーが、
「登場人物を減らせ」といって物議をかもしたことがあったね。
あまりにも多いと、無駄になるんだよね。

たとえ6人だとしても、
それぞれがどう考えていて、
どういう行動をするかとか、
その人の中で矛盾しないようになっているかとかを、
いちいちチェックすることはほんとうに難しい。

とはいえ、その場その場でライブ感的に言いたいことだけを書いてたら、
まとまるものもカオスに発散してしまうだろう。
ということは、
計画的かつ柔軟にやらないと、
うまくストーリーは書けないということになる。
で、その塩梅を見つけることがとても難しいんだよね。
ここはメインだけ進めればよいとか、
ここは棒立ちしているサブを動かさないととか、
それはもうオーケストラの指揮者のようにならないと、
全体をうまくさばけないものなのだ。

だから、それは慣れしかないんだよね。

全体をさばく経験は、全体をさばくことでしか得られない。
もちろん部分的なものをさばくことをやる経験は、
ないよりはあったほうがいいが、
小規模の店をやることと、
大規模の店をやることは違うはずし、
小規模の経験がそのまま使えるわけでもないことは、
想像すればわかるだろう。
とはいえ、
まったくの未経験よりは、
小規模の経験はしておいたほうがいいだろうな、
くらいでしかない。

どういうバランスで全体を見渡すべきか、
どういう目端を利かせればいいか、
いつメインに集中すればいいか、
などは、勘と経験しかないよね。
熟練者でもときどき間違うことすらあるし。

なので、
もう慣れしかないので、
どんどん書け、という以外にないのだ。
で、部分問題としての、
短編を、どんどん書くしかないんだよ。
メインプロットとサブプロットが1本ずつあるやつで、
同時進行することすら、
慣れていないと簡単に混同する。
誰がどういうことをおもってて、何目的で、
なんてことを表に書いて整理しないと、
絶対自分でわからなくなってしまう。

3本、4本のサブプロットが同時進行したとしたら、
メインとどれくらいの力バランスにするかも考えないといけない。
メインが目立たなくなって、サブがメインに見えてしまうことは、
長いストーリーにおいてよくある間違いのひとつだ。

理想は太いメインと、おかずのようなサブプロットが、
うまく織りなす綾のようなものだが、
それは全体を指揮して織りなす経験がないと、
難しいと思う。

それには、同時進行するいくつかの要素を、
うまく同時に扱うことでしか、
訓練できないというわけ。
一人っ子の食卓と、兄弟が数いる食卓は、
喋り方が違うそうだ。
一人っ子は話せば聞いてくれるから、
積極的にあまりしゃべらなくなるらしい。
兄弟がたくさんいる家庭で育つと、
うまいこと話題を取って喋らないと、
喋る権利が得られないので、
他人の話を奪うことに長けるそうだ。
そういうことをし慣れている人と、
そうじゃない人では、
慣れている人のほうが、
同時進行する何かを同時に扱いやすいかもしれない。

僕はお手玉が苦手だ。
同時進行するいくつかのものを、
うまく扱えないような気がする。

それでもストーリーでそれが出来るのは、
慣れでしかないかもしれないね。

でも、
いくらあなたが同時進行できる複数のものを書けたとしても、
観客が同時に理解できるのはせいぜい3要素くらいだろう。
だからうまくフォーカスできないと、
ただややこしい話で終わってしまうだろう。
複雑だがわかりやすい話にしなければならないので、
それはまた別の語り口をマスターしないといけなくなるだろうね。
つまりそれって結局、うまく複雑なものを整理する力なんだけど。

お手玉を想像しよう。
目で追えるのは2個くらいだろう。
3個になると、どこかで目を離さないといけなくなる。
4個になるともうどこを見ていいかわからなくなる。
それでもそれぞれの玉は物理に従って動いてて、
手は都度都度受け止めて投げ上げている。
それをしながらも見ている人をどう誘導するか、
を考えながら書くことは、
さながらサーカスだと僕は思うけどね。

つまりサーカスなのだ。書き物というのは。
もしそういう風に考えたことがないならば、
サーカスだと思って書くとよい。
複数のことを同時に進行させることは、
焦点を絞ることや、ミスリードが必須になってくるよね。
そういうことがうまくないと、
単純でストレートな話しか書けないだろう。

そういうことを自分で試すために、
わざと複雑な話を書くことは、
練習によいぞ。
短編でも複雑な構造にすることは可能だ。
posted by おおおかとしひこ at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック