情熱のこもったものは、必ず人を動かす。
それは多分、人は他人の情熱を読み取る力があるからだ。
ただその情熱は、
脚本の場合、ストーリーそのものに注がれるべきである。
瑣末なディテールにももちろん情熱があった方がいいけれど、
そこに注がれる情熱は、
全体の情熱がこれだから、
ここのディテールを外すわけにいかないからそうしている、
ならば正しくて、
ただディテールを追求して、
全体がぼんやりしているなら意味がない。
つまり、情熱の主はストーリーで、
ディテールは副である。
じゃあそのストーリーの情熱ってなんだろう。
「おれはこの主人公の解決を、
どうしても語りたい」であるべきだろうね。
「おれはこのツカミを、どうしても語りたい」とか、
「おれはこの翻弄される様を、どうしても語りたい」とか、
「おれはこの途中の場面を、どうしても語りたい」とか、
「おれはこの素晴らしい構成の妙を、どうしても語りたい」
では、
軸足と重心が、ストーリーそのものからずれてしまうと思う。
つまり、ストーリーそのものとは結論のことだ。
すべてはそこに向かうディテールであり、
もちろんそこには構成があるのだが、
もっとも情熱を燃やすべきは結論だ。
「主人公がこのようにして解決するから、
この物語をどうしても語りたい」
になるべきなのだ。
つまりはラストである。
ラストにおいて、
主人公は全てを解決して、
再び日常にもどり、
これまでと違った日常に変化をする、
あの瞬間のために、
ストーリーはある。
なぜ、どうして、どのようにして、
主人公は解決したのか。
その解決によって、どのような意味が我々に新しくもたらされるのか。
そこを明確にして、
それをどうしても語りたい、
となっていなければ、
ストーリーそのものに情熱があるとはいえない。
もちろん、
途中途中の場面で、とても出来が良く、
情熱が注がれている場面もあるし、
それは確実に伝わるのだが、
「そこまでやっといて、結局それ?」になるか、
「なるほどあの情熱は、
すべてここに至るためのものだったのか」になるかは、
ラスト次第だろう。
情熱にも色々ある。
大声を出すようなものや、
きらきらにきらめいているものから、
地味だが暗い炎のように延々と続くものや、
乾いているけどしっかりしたものや、
ねっとりしてずっと粘りついているものや、
スコーンと天に抜けるような明るいものやら、
色々な色の情熱がある。
その色は作家の個性かもしれないし、
作品によってその色は変えてもいいと思う。
(一つしかできない作風の人もいれば、
数色だけ飛び抜けている人もいれば、
カメレオンみたいな人もいるだろう)
いずれにせよ、
そのように整理された情熱が、
人を動かすと思う。
でたらめな情熱は、単発で終わりだ。
まとまった情熱が、後ろから後ろからやってくる津波のように、
ずっと続いてラストまで繋がるものが、
ストーリーの情熱である。
あなたは何をしたいのか。
その解決は、何を意味するのか。
最後に主人公はどうなり、それがどういう意味をもたらすのか。
最後に暗転するその直前、
そこが情熱のピークになるべきだ。
逆に、そうなっていないシナリオなんて、
出来が悪いだけだ。
2022年12月08日
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