音象徴論のつづき。
音と言語の意味には関係があるか?
あるのではないか、
と様々な音と意味の関係を調査しているのが、
音象徴論の世界である。
母音に関して、「大きさ」があるようだ、
というのがその結果のひとつで、
お>う>あ>え>い
の順に大きいらしい。
薙刀式は僕の直感をもとに作られた配列だが、
僕の直感の中には、
この感覚があるようだ。
今回はシフトカナについて、
その感覚が統一されてることに驚いたので、
議論してみる。
まずシフトカナの表。
ぬりね さよえゆ
せめにまち やのもつふ
を、み お。むわ
アイウエオ段に変換してみるか。
ウイエ アオエウ
エエイアイ アオオウウ
オ イ オ ウア
右手のほとんどが、オ段、ウ段、ア段の、
大きめのカナで占められている。
僕の中では「重い」という感覚なのだが、
「大きさ」を重さに読み替えているのだろう。
軽いイ段、エ段は少なめだが、
左手に多く、打ちにくい所に置く傾向がある。
なるほど、弱い部分では、重さも減らそうと。
僕の直感の「重たい」というのは、
頻度のことではない。
カナそのものがもつ性格みたいなイメージだ。
たとえば「ぬ」はそこそこ重たい。
だから左薬指上段にするには、結構違和感がある。
しかし頻度でいえば最低頻度なので、
実用上、そこでよいか、
などと、直感に反して頻度による計算で、
かの位置に確定している感じ。
かつて「ぬ」は右中指下段に置いた時が、
一番しっくりきた。
重たいものは右手のメイン指に置きたい感覚がある。
でもあまりにも使わないからまた動かしたんだよね。
頻度0.1%だからね。
現在は、同じくウ段の「む」が来てて、
その感覚は維持されているといえる。
カナ配列を作るときは、
頻度によるバランスと、
連接による指の動きを中心に、
設計するものである。
だから「このカナがここにある理由」は、
それだけで説明できるはず。
だけど僕には、「このカナはここにいて欲しい」
という、空間的な、触覚的な感覚が先にあり、
それを満たすように並べて、
頻度や連接のバランスは、
後付けで作って行ったんだよね。
その直感的な感覚が、
音象徴論によって浮き彫りにされていて、
「これかー」と感心したというのが、
今回の一連の驚きだ。
いや、僕だけの感覚ではなく、
みなさんちゃんとそう感じていたのか、
というやつだ。
芸術家は鋭敏な感覚を持つらしいが、
その感覚は「その人独自のセンス」ではなくて、
「共通の感覚の鋭さの具合」なのかもね。
(もちろん一次元スカラーではなく、多次元空間だろう)
そうじゃないと、
芸術が広く受け入れられる理由がわからないものね。
少なくとも母音の大きさ/重さに関しては、
僕の感覚はだいぶ合ってたということらしい。
シフトカナに選定する理由は、
通常の配列設計理論では、
頻度的に少ないから、とか、
連続シフトで連接をつくるから、とかだ。
「感覚的に重たいカナだからシフト」
なんて判断は、聞いたこともない。
だけど音象徴論的感覚からすれば、
当然のことをやってるわけだよな。
薙刀式のシフトが、頑なに同時打鍵を採用せず、
前置シフトにもせず、
通常の一見クラシックな通常シフトを採用しているのも、
「重たさ」の直感的な指使いだからじゃないかなあ。
同時打鍵だと軽やかすぎて、
シフトカナの重さに合ってないと思ってしまう。
なんとなくやってきた無意識の判断に、
理論的背景があったことがわかって、
大変面白い。
ことばの本質に、結構迫ってるような気がする。
2022年12月02日
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