色々ややこしくなることがある。
そういうときは図をかいて整理するとよい。
ていうか、たぶん、図にかけない状況などは、
整理がされていないことが多い。
図に書くことで、整理するのである。
人間関係とか、地図的な位置関係は、まず図にかいたほうがよい。
さらに複雑な人間関係、
過去と現在が交錯しているようなものとか、
誰が誰にどの秘密を隠しているかとか、
そういうややこしいものも図に書いたほうがよい。
そもそも図にかけないものは、
整理が出来ていないことが多い。
もっとも整理されたものは言語化できる。
それは頭の中で図をかけるし、
なんなら言葉と図で他人に説明できる。
言語化とは最も整理された理解だ。
言語化できていなくても、
図にしてみることは、
言語化という整理への道だったりする。
「なるほど、これとこれはこうだったのか」とか、
「ここに穴がある」などは、
図をかいて初めて気づくことがある。
ああ、頭の中で考えていたことだけでは、
見えていない部分がたくさんあったなあ、
などとわかってくる。
図をかくと、考えを回り込むことができるのだ。
頭の中の考えというのは、一方的な視点であることがとても多い。
頭の中で視点を別の人物に移動したり、
別の場面や時間軸に動かすことは、
わりと難しい。
それを行き来して違いを把握したり、
修正をかけたりすることは、
頭の中だけではとても難しいと思う。
一方的な考えだけで気づかないこともたくさんある。
こういうときは、図をかくと整理できるのだ。
あるいは、自分が把握しきっている、と思うことでも、
図をかくことで新しい発見をすることが出来る。
たとえば「ドラゴンボールで悟空と餃子は、
一度も喋ったことがない」というのは有名なトリビアだけど、
これも人物関係図をかいていれば、
おや、悟空と餃子の線があいてるな、
ということに気づくはず。
天津飯だけでなく、餃子と誰かをどうにかしてからませる、
というアイデアもチェックすれば出たかもしれないのにね。
図をかくことは、
一次元的な、点的な頭の中を、
二次元平面に展開して、
整理することが可能になることが多い。
ちなみに今短編集を考えているんだけど、
20本を超えたあたりで、
どれがどれか分らなくなったので、
やっぱり図をかいたら、
次にやるべきことが見えてきて興味深かった。
単にリストをつくって、
登場人物に男女のマークを付けただけでも、
ああ、女主役がちょっと足りていないなとか、
気がくるっているタイプの男が主人公のやつがないなとか、
ネタ被りはあるだろうか、
とかをチェックすることができるんだよね。
ああ、ここが足りないからここを新しく考えよう、
などと次の指針を考えることが出来る。
そしてこれらを整理する、
別の軸を考え出すこともできるわけ。
小道具で整理できないかとか、
シチュエーションの季節で整理できないかとか、
職業で整理できないかとか、
ハッピーエンドやバッドエンドで整理できないかとか。
色々バランスを取りながらやっているつもりでも、
偏りはあるものだ。
その偏りに気づくために、
図をかいて整理することは役に立つよ。
で、ここからが僕のおすすめだけど、
デジタルで整理しないこと。
エクセルやイラスト系で管理できるのでは?
などと思わないことだ。
なぜなら、
「書き出すことが整理そのものだから」なんだよね。
カンニングペーパーをつくることが勉強そのものだったりすることと同じなのだ。
フォントがきれいになっているとか、
直線がきれいに引かれているとか、
左ぞろえになっているとかは、
整理の本質ではない。
情報が整理されているか、ということがだいじだ。
字や線が汚くても、
情報が整理されていれば、
それを俯瞰することが出来るんだよね。
頭の悪いやつほどデジタルを使い、
頭のいいやつほど、
「手でかける範囲に情報を整理する」と思う。
手でかける範囲にうまく情報を整理することで、
流れ続ける時間軸の映画の、
情報を整理することが出来る。
映画は止まって解説することができないメディアだから、
頭の中で整理しきれることだけが、
提示できる情報量だ。
麻雀のルールは複雑すぎて映画にならないが、
じゃんけんは映画になる。
整理できるからだね。
あなたの頭の中がごちゃごちゃしてきたら、
整理するために図をかくのである。
「あの人の頭の中は一体どうなっているんだろう?
あんなに複雑な物語を、どうやってつくったのだろう?」
なんて思うことがよくあるけど、
図をかいて整理しただけだと思うぜ。
これは、自分でかいた図だから意味がある。
自分自身の整理だからだ。
おかんが片づけた部屋は、どこに何があるかわからんよね。
そういうことだ。
2022年12月12日
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