2022年12月05日

【薙刀式】配列屋とタイパーの真逆性

タイパーアドカレを覗き見してるんだけど、
ああ、ここまで究極的に違うんだなあ、
ということが興味深いので引用する。

10年ぶりにガチでタイピングやったら圧倒的全一になったwwwwww
https://nigetter.hatenadiary.org/entry/2022/12/03/000000


まず前提はこうだ。

・人間の指は偏っている。
・キーボードの物理キーも偏っているし、
 キーの全体も偏っている。

「偏っている」の反対語は「等価である」としよう。

人間の8本指(親指も使うなら10本)は等価ではない。
指の長さも違うし、器用さや耐久性、
左右でも差がある。
また、連接をどの指のどのキーでも等価には打てない。
任意の2連接だと、速さの差が4倍くらいある。
(大岡の900連接調査)

物理キーは等価ではない。
上中下段は、自作キーボード系を除き形が異なる。
左ロウスタッガードは左右ズレまである。
上中下段のピッチは一定で、
担当指の長さ比率で異なる訳ではない。
(これは自作キーボードで、格子配列とDSAキーキャップなどで、
均質に出来る。しかし指に対して上下段は対称価値ではないだろう)

キーは等価ではない。
良く使う文字があり、あまり使わない文字がある
(1gram頻度)。
ある文字の後には特定の文字が来る確率が高い
(2gram頻度、2連接)。
さらに3gram、4gram…がある。


これらの偏りがあることは、大前提だ。

ここから、全く異なる二つの道がある。

ひとつはタイパー的アプローチで、
「指とキーを全て等価にするほどに、
自分のスキルを上げる」である。

もうひとつは配列屋的アプローチで、
「この指の偏りとキーの偏りをマッチングさせるように、
キーを動かす」だ。

自作キーボードのアプローチではさらに、
「物理キーもこの偏りのマッチングに参加させて、
配置や回転や、なんなら3D配置したり、
キーキャップの形状を変えたり、スイッチを改造して、
アクチュエーション、トラベル、押下圧、感触すらも変える」
が行われている。

人間と環境があるとして、
人間と環境の偏りを、
人間を変えて環境を等価に使うことがタイパー的アプローチ、
環境を変えて人間に合わせることが、
配列屋的アプローチ(キーの論理的改変)、
自作キーボード的アプローチ(キーの物理的改変)、
だといえる。

これらは、
同じ現象に対して、
解決の方向が真逆である。

もちろん、タイパーも逆のアプローチをすることはなくもない。
チルトスタンドを変えたり、
パームレストを変えたり、
誤打するキーを引っこ抜いたり、
親指キーを逆づけしたり、
競技とは関係ないところでマクロを組んだり
(タイピングソフトのショートカットとか)、
レイテンシを上げるために問題文が出るところにシールを貼る、
なんての見たことがある。

だけど基本的には、
「この環境を改変することなく、人間側を改変する
(鍛える)」ことが、タイパー的アプローチだろう。

配列屋や自作キーボード勢も、
論理や物理をいじってないで、
自分自身を改変、つまり、鍛えるシークエンスがないではない。

そもそもブラインドタッチが不完全なものを、
標準運指にするとか、
最適化運指を模索するとか、
タイプウェルやeタイピングや寿司打をやるとか、
くらいはやることがある。
だけどその程度で、
引用したタイパーの記事ほどのことは、
まるでやらないだろう。

努力しないで済むなら、どんな努力でもします、
というのが、「環境を変えるアプローチ」だと思う。
自分を鍛えることは負けだ。

自作キーボード勢なんか、
自作椅子、自作机、自作床までやる。
キーボード専用部屋を作る自作家までやる人もいる。

(僕はノマドでの最適化勢で、
そのためのタブレットスタンドや、
机からキーボードを低い位置に懸架する、
「バビロン」なんかをつくっている)

論理配列に至っては、
文字の単なる入れ替えではなく、
打鍵範囲を狭くするためにシフト機構を導入してレイヤーに積んだり、
打鍵数を減らすために同時押しなどでアクションを減らしたり、
省略入力を定義したり、
運指ルートに2gram統計で良いものがくるように、
動線を計算して整理したりしている。

薙刀式に至っては、
IMEの変換操作や確定後の編集操作まで、
ホームポジションから行えるような、
「編集モード」を使い、
文字入力から原稿完成までをシームレスな動線で、
最適化しようと企んでいる。


両者の力点は真逆だ。
両者が「やらないこと、避けていること」も、
真逆だ。

水と油の関係だ。
お互いがお互いを嫌ってるわけではないと思う。
むしろある種の「ようここまでやるな」という、
他ジャンルオタクへの尊敬はあるとは思う。
ただ、宗教の違いで交わらないのだろう。
なんなら、向こうのやっていることは、
こちらだと邪道に見えるからだ。


引用記事に戻ると、
「全指全キーのランダム打鍵の最速化」
というジャンルがあるんだな、
というのにまず驚いた。

配列屋は、「すべては等価ではない」を認めてこの中で戦う。
それを、「すべてを等価にする訓練」が、
このアプローチだからだ。

前提を訓練で覆す。
人間の可能性は無限だなあと思う。



僕もいっちょまえにタイプウェルをやった時期があった。
だけど常用語SS(薙刀式)が限界だ。秒5.5カナだ。
でもqwertyローマ字だとBだ。
つまり、BとSSの差分が、
僕が薙刀式で実現した「速さ」である。

でもこれ以上頑張る意味がないと思った。
僕の目指す目的は、
短距離競走での優位性ではなく、
小説の執筆だからだ。
打鍵にかまっている時間はない。
打鍵はなるべく出てこないでほしい。
打鍵がなるべく出てこなくするために、
配列や自作キーボードを改良する。


逆に、タイパーは、
打鍵に100%集中するのだろう。
そのために自分を改良するわけだ。


共通集合が無さすぎて、
考えれば考えるほど笑ってしまう。

にも関わらず、
外見上は「タイピングが速くなること」が、
両者とも目的のように見えている。

実に興味深い。


お互いがお互いを煽ることは簡単だ。

「は? そんだけ指速いくせに、
さっさと本何冊も書けや。
他人の言葉を写すだけなら写経時代に行ってこい」
「は? 遅いからチートしてるんだろ?
純粋に指力で来いや」

なんてすぐに思いつく。
でもこの煽り合いは交わらない。
目的と手段と、力点と、いらないところが、
全部噛み合ってない。

でも、
外見上は、キーボードをタイピングしてるんだよな。


交わらない平行線は、
このまま平行線であることに変わりはない。
だけど、互いの成果は互いの参考にはなるだろう。

完璧な偏りのない指はないし、
完璧な環境の偏りの吸収はないからだ。

配列屋はタイパー的な訓練をすることもあるし、
タイパーは配列屋や自作キーボード勢の何かを取り入れることもあるだろう。



引退したタイパーは何をしてるんだろう。
仕事メールを書くのは他人より早いのだろうか。
それとも執筆活動をしてる人が元タイパーだったりするのだろうか。

引退した配列屋は何をしてるんだろう。
qwertyをそれなりに使って、
多少のショートカットくらいは使うのだろうか。

彼らのその後を追ったルポタージュを読みたい。
そのことの価値を、
相対的に俯瞰したいな。
若い時の情熱と片付けてもよいし、
普遍的に伝わる何かがあるかもしれない。

ただ、べらぼうな情熱は、人を惹きつける何かがある。
posted by おおおかとしひこ at 11:10| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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