翻訳家を舐めてるからじゃないだろうか。
日本語は独特の言語だ。
日本語で書かれた小説が、
英語になるとは思えない。
英作文してみればわかる。
これでニュアンス伝わるのか?と思う。
帰国子女のバイリンガルに聞いてみても、
自分の経験しかないから、
広い読書体験とか、
客観的表現についてアドバイスするには、
作家に聞かないとわからないという。
でも英語の作家は日本語に詳しいわけではなく、
そして日本語の作家レベルの実力があるわけではない。
両方に作家レベルに詳しいのは、
翻訳家以外にない。
だけどどんな翻訳家でも、
俳句の翻訳はかなり難易度が高いと思う。
小説ならばまだ文字数が多少前後しても、
ニュアンスが伝われば良いが、
俳句のキレの良さをうまく再現できる人は、
なかなかいるまい。
逆を考えよう。
英語ではキレがよいものを、
日本語でそのニュアンスを伝えられるか?
よくネタに使うのは、「Just do it.」だ。
これを、
「目の前にあることをやることは、
考えて動かないことより重要だ。
今がやる時だ、それがスポーツの本質で、
その成功に皆熱狂するのだ」
というニュアンスを込めて、
キレの良い日本語にすることは、
かなり困難だと僕は思う。
そしてそれが出来た人には、
一億払っていい価値があると思うよ。
このキャッチコピーが輸入された当時、
「さあ、やろう。」という翻訳コピーが当てられていたが、
なんだかモッタリした日本語で、
しかも哲学的な響きのない阿呆の戯言にしか見えず、
僕は大変嫌いだった。
Appleやディズニーの現地語翻訳みたいな、
文化無視みたいなクソ翻訳だと感じた。
いまだにこれはたまに考えるが、
名訳は思いつかない。
「走れ。」くらいが一番キレがいいんじゃないかと思っている。
逐語訳では無理で、うまく意訳しないといけないよね。
さて、邦題である。
「アバター: ウェイ・オブ・ウォーター」がひどい。
何も期待出来ない。
まだ、
「アバター2: 水の中の楽園」くらいに意訳すれば、
今回は水遊園地だぞと期待できる。
実際はどんな話か知らないので、
全然内容と違うだろうなと思いながら書いている。
もう少し原題から深読みすると、
「水の世界ならではのやり方」みたいなことだから、
人間とは異なる異界の水世界流のやり方があり、
その異文化に我々はハッとさせられる、
というような、
「ディアハンター」や「ダンスウィズウルブス」で、
インディアン(現ネイティブアメリカン)が流行ったときと、
まるで同じ文法をしていることが読める。
この現地酋長をサムライに置き換えたものが「ラストサムライ」で、
それをポリネシアに置き換えたものが「南の島のモア」だ。
昔から白人社会では、
進んだ白人文明にとっては異国の原始的だが、
白人文明にない魅力を感じてそこに帰化する、
という物語をひとつのパターンとしてきた。
ざっくりいえば差別意識とエキゾチズムと、
オルタナティブを混ぜればこれができる。
ジャングルの王者ターザンだって同じジャンルで、
そこに登場するのは女がその国に染まる様だ。
ピンクレディーの「UFO」は、
その異国を宇宙人に置き換えただけで、
つまりは、
「ここではないどこかへ行きたい、
ここは詰まらなくて飽きた。
そこへ行けば全く別の世界があって面白そう」
という、
旅行願望でしかないんだよね。
そのようなことを、
この邦題をそのままカタカナにしたやつは、
考察をしていないと考えられる。
とてもベタにするならば、
「水世界紀行〜彼らなりのやり方」
ならば、
このタイトルの企画性を、
忠実に日本語文化の中で表現したものになる。
でもそれじゃあなあ、となって、
「水の世界の歩き方」と、
少し現代に寄せることになり、
「水の世界で伝わること」
みたいな自己啓発系になっていくだろう。
こうしたことが検討されたかどうかはわからぬ。
ただ、
向こうの文化をこちらに翻訳して、
それを現地側として楽しむという感覚が、
とても軽視されているように思える。
そもそも宣伝部は馬鹿で教養がないならば、
僕はやめちまえと思うけどね。
文化を売るつもりならば、
扱う商品のことはとことん研究して当然だろうと。
ということは、
これは、文化を売るつもりのない商人が、
商品のことはよく知らないが売っているという、
バッタ商売でしかないということだ。
バッタはすぐ飛ぶ。
そういえば「トップガン: マーヴェリック」もひどかった。
ひどくても売れる前例を作ってしまったのがもっとひどい。
日本には日本語をきちんと使いこなせる、
詩人が減っているのだろうか。
谷川俊太郎ならアバター2のタイトルをどうつけるのだろう?
俵万智なら?村上春樹なら?
阿久悠なら?秋元康なら?
米津玄師なら?
それよりも、
「アバター: ウェイ・オブ・ウォーター」
が勝てるとは思えぬ。
おまけに#アバ体験ときたもんだ。
アハ体験ってもうだいぶ古い流行語で、
若いやつしらんやろ。
宣伝部の文化レベルが低すぎて、見るに耐えられない。
おそらく公開直後に見ることにはなるが、
その時にまた邦題を考えることになるだろう。
素晴らしい文化は、伝え方を間違えたら終わりだと思う。
映画は今、伝承の危機にいるのかもしれない。
2022年12月07日
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