2022年12月07日

最近の洋画がカタカナタイトルばっかなのは

翻訳家を舐めてるからじゃないだろうか。


日本語は独特の言語だ。

日本語で書かれた小説が、
英語になるとは思えない。
英作文してみればわかる。
これでニュアンス伝わるのか?と思う。

帰国子女のバイリンガルに聞いてみても、
自分の経験しかないから、
広い読書体験とか、
客観的表現についてアドバイスするには、
作家に聞かないとわからないという。
でも英語の作家は日本語に詳しいわけではなく、
そして日本語の作家レベルの実力があるわけではない。

両方に作家レベルに詳しいのは、
翻訳家以外にない。


だけどどんな翻訳家でも、
俳句の翻訳はかなり難易度が高いと思う。
小説ならばまだ文字数が多少前後しても、
ニュアンスが伝われば良いが、
俳句のキレの良さをうまく再現できる人は、
なかなかいるまい。

逆を考えよう。
英語ではキレがよいものを、
日本語でそのニュアンスを伝えられるか?

よくネタに使うのは、「Just do it.」だ。
これを、
「目の前にあることをやることは、
考えて動かないことより重要だ。
今がやる時だ、それがスポーツの本質で、
その成功に皆熱狂するのだ」
というニュアンスを込めて、
キレの良い日本語にすることは、
かなり困難だと僕は思う。

そしてそれが出来た人には、
一億払っていい価値があると思うよ。

このキャッチコピーが輸入された当時、
「さあ、やろう。」という翻訳コピーが当てられていたが、
なんだかモッタリした日本語で、
しかも哲学的な響きのない阿呆の戯言にしか見えず、
僕は大変嫌いだった。
Appleやディズニーの現地語翻訳みたいな、
文化無視みたいなクソ翻訳だと感じた。

いまだにこれはたまに考えるが、
名訳は思いつかない。
「走れ。」くらいが一番キレがいいんじゃないかと思っている。
逐語訳では無理で、うまく意訳しないといけないよね。


さて、邦題である。

「アバター: ウェイ・オブ・ウォーター」がひどい。

何も期待出来ない。
まだ、
「アバター2: 水の中の楽園」くらいに意訳すれば、
今回は水遊園地だぞと期待できる。
実際はどんな話か知らないので、
全然内容と違うだろうなと思いながら書いている。

もう少し原題から深読みすると、
「水の世界ならではのやり方」みたいなことだから、
人間とは異なる異界の水世界流のやり方があり、
その異文化に我々はハッとさせられる、
というような、
「ディアハンター」や「ダンスウィズウルブス」で、
インディアン(現ネイティブアメリカン)が流行ったときと、
まるで同じ文法をしていることが読める。
この現地酋長をサムライに置き換えたものが「ラストサムライ」で、
それをポリネシアに置き換えたものが「南の島のモア」だ。

昔から白人社会では、
進んだ白人文明にとっては異国の原始的だが、
白人文明にない魅力を感じてそこに帰化する、
という物語をひとつのパターンとしてきた。
ざっくりいえば差別意識とエキゾチズムと、
オルタナティブを混ぜればこれができる。
ジャングルの王者ターザンだって同じジャンルで、
そこに登場するのは女がその国に染まる様だ。

ピンクレディーの「UFO」は、
その異国を宇宙人に置き換えただけで、
つまりは、
「ここではないどこかへ行きたい、
ここは詰まらなくて飽きた。
そこへ行けば全く別の世界があって面白そう」
という、
旅行願望でしかないんだよね。

そのようなことを、
この邦題をそのままカタカナにしたやつは、
考察をしていないと考えられる。

とてもベタにするならば、
「水世界紀行〜彼らなりのやり方」
ならば、
このタイトルの企画性を、
忠実に日本語文化の中で表現したものになる。

でもそれじゃあなあ、となって、
「水の世界の歩き方」と、
少し現代に寄せることになり、
「水の世界で伝わること」
みたいな自己啓発系になっていくだろう。

こうしたことが検討されたかどうかはわからぬ。

ただ、
向こうの文化をこちらに翻訳して、
それを現地側として楽しむという感覚が、
とても軽視されているように思える。


そもそも宣伝部は馬鹿で教養がないならば、
僕はやめちまえと思うけどね。
文化を売るつもりならば、
扱う商品のことはとことん研究して当然だろうと。

ということは、
これは、文化を売るつもりのない商人が、
商品のことはよく知らないが売っているという、
バッタ商売でしかないということだ。
バッタはすぐ飛ぶ。


そういえば「トップガン: マーヴェリック」もひどかった。
ひどくても売れる前例を作ってしまったのがもっとひどい。
日本には日本語をきちんと使いこなせる、
詩人が減っているのだろうか。

谷川俊太郎ならアバター2のタイトルをどうつけるのだろう?
俵万智なら?村上春樹なら?
阿久悠なら?秋元康なら?
米津玄師なら?
それよりも、
「アバター: ウェイ・オブ・ウォーター」
が勝てるとは思えぬ。

おまけに#アバ体験ときたもんだ。
アハ体験ってもうだいぶ古い流行語で、
若いやつしらんやろ。
宣伝部の文化レベルが低すぎて、見るに耐えられない。


おそらく公開直後に見ることにはなるが、
その時にまた邦題を考えることになるだろう。
素晴らしい文化は、伝え方を間違えたら終わりだと思う。
映画は今、伝承の危機にいるのかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 10:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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