うーむ、wikiを見る限り、
さまざまな闘争があったようだ。
知らないことだらけだな。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/歴史的仮名遣
僕はたまたま現代語しか使ってこなかったので、
歴史的仮名遣いには疎い。
疎いどころか、
語源を知らないから分からない、と言える。
たとえば、「水」が「みづ」とは知らなかった。
それさえ知ってれば、「津」は水のことだとすぐにわかるのに。
こうした語源からの理解を阻害する意味で、
現代仮名遣いは伝承を絶っているといえる。
韓国語がハングルになったことで、
ハングル以前の歴史はどう解釈されてるんだろ。
韓国人が身近にいないのでよく知らない。
繁体字の台湾と簡体字の中国は、
これからややこしくなりそうだ。
支配者は常に過去を無きものにして、
新しいやり方に強制して、
古いものには価値がないなどという。
人類の歴史はその繰り返しで、
その都度伝承の途切れがあるのだろう。
そういえば「新しい働き方」という人たちが、おっと誰か来たようだ…
同音異義変換を防ぐために、
歴史的仮名遣いでの変換を勧める、
という記事を見たことがある。
濃縮還元して混同されているものを、
もとに復元すれば混乱も少なくなるという、
至極真っ当な論理で膝を打ったことがある。
だけど僕はその旧仮名遣いを知らない。
何が現代で何が旧なのか、
たぶん区別がつかなくて、
「俺の知らないやつは旧」でしかない状態だ。
実にもったいない。
みずがみづであったと分かれば、
津島は水に満ちた島、ないし満ち干きでずいぶん姿が変わる島を想像できるし、
向う見ずなら水と関係ないとわかるのになあ。
言葉の解像度が、結構変わる気がする。
たまーにツイートしてる人で、
旧仮名遣いをしてる人を見るんだけど、
その人は趣味でやってんのかと思ってたら、
わりと高邁な理想を掲げてる人なのかも、
と思った。
とはいえ、僕はすでに分断されたあとの、
現代語の人なので、ううむ、勿体ないことをしてるなあ。
そうそう、
中学の頃の古典の澤田先生は、
古文は関西弁で理解するべきという主義の人で、
なぜなら平安京は京都弁やからや、
というバリバリの京都主義者であった。
まあそのことはアホバカ分布図でもわかるとおり、
日本語というのは京都を中心として、
同心円状に方言が広がっていることで示されている。
京都の言葉は基本最新で、
京都から距離が離れるほど古い言葉なのだと。
宇宙の遠い所は過去が映っていることと、
同じ理屈であるとは思わなかった。
たとえば今でも覚えているが、
「え〜じ」はcan notの意味であるが、
「よう〜せんわ」と訳すと古文の語順のまま訳し下ろせる、
などということを習った。
関西の文化は、京都から直結しているのだと。
僕はそういう意味で関西文化に誇りを持っていて、
とはいえ仕事の関係で東京に来たのだが、
坂東文化の歴史の浅さに少し辟易することがある。
関西の雅な洗練とは違う、所詮は夷かと思う時がなくもない。
たかが駄洒落を尊ぶとかね。
関西では駄洒落は永遠に下のランクの、
おもんないやつがやることなのだが、
東京では駄洒落が高度な知的活動と思われている節がある。
歴史的仮名遣いをしてる人のツイートを見ると、
関西弁っぽい言葉遣いだなあと思うことがよくある。
たぶん、江戸が東京になった時、
京都を断ち切るつもりで、
現代仮名遣いを制定したんじゃないか。
僕が子供の頃はまだ老人たちが、
クヮ音を喋ったり、
歴史的仮名遣いで字を書いたりしていた。
だから関西弁ぽい歴史的仮名遣いを見ると、
うちのバアさんの喋りを見ている感覚になるんよね。
逆にいうと、
そこから伝承が絶たれたような感覚にはなる。
文化の分断は、
言葉の改変で起こる。
仲間内だけで通じる略語を使って、
それ以外の者を締め出すのは、
平安の時代から今の小学生まで、
やっていることは同じだね。
ということで、
歴史的仮名遣いを薙刀式はどう取り込むかについては、
何のアイデアもない。
僕が使えない言葉なので、判断できないからだ。
現代仮名遣いに関しては一定の自信があるが、
違う言語やんけ、と思ったらなんもわからん。
そもそも関西弁にすら、薙刀式の指使いは対応していない。
なんでやねんが滑らかなアルペジオになってないし。
「なんで」までは関東弁でいけるが、
「やねん」の連続シフトは滑らかではない。
歴史的仮名遣いに真摯に対応するならば、
関西弁配列から拡張していくべきでは?
と僕は考えている。
まあ薙刀式ベースで改造してもらうのは、
一から作るより楽かもしれないので、やぶさかではないが。
とりあえず最低限の手間でゐゑを乗っけるなら、
(GK)=ゐ、(GO)=ゑ
がオススメというところか。
日本語と英語を共用配列で使うことは、
僕は反対だ。音韻の流れがだいぶ違うからだ。
歴史的仮名遣いの文章と、
現代語の文章では、
たぶんだいぶ違うと思うので、
共用配列で使えないんじゃないかとすら思う。
東京弁関西弁も、共用配列は難しいかもね。
とはいえ、実用上はパッチを当てることでなんとかするしかなさそうだけど。
2022年12月08日
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戦前の本、新聞などは歴史的仮名遣いで書かれています。
当時の横書きの文も右から左に読むことが多い気がします。
今では考えられないですが、戦前は政治家でも漢詩をつくっていたようです。
日本国の主権が日本にあった頃までは、文化的には江戸から地続きだと思います。
フォローありがとうございます。
言文一致運動のイメージで明治なのかなあと勝手に思ってました。
ということは、僕の記憶にある老人たちは、
戦前教育で育った人ということか。
やはりそこで一回分断があるんだな。
三島由紀夫など、日本語を大切にした人は歴史的仮名遣い派だったらしく、
語源まで遡るにはたしかにその方がいいよなあ、
と今になってわかった次第です。
やはりCIAの陰謀か…