外来語は所詮、日本語と異なる音韻の流れである。
連接や指の流れが大変異なる。
だから別の国の言葉なんだけどね。
でも、野球の言葉ぐらいは、
日本語の流れになってる気がする。
ストライク、ボール、カーブ、
バッター、ピッチャー、キャッチャー、
ファースト、セカンド、サード、
ツーストライクスリーボール、
フルカウント、
ファール、フライ、チップ、
ナックル、シュート、フォーク、ストレート、
セットポジション、ボーク、ホームラン、
バックホーム、
なんかは、
薙刀式でもかなり打ちやすい指の流れになっている。
外国語を打つよりも、
日本語を打ってるみたいに打てるね。
おそらく野球が普及したのは、
専門用語が日本語に近かったからじゃないか、
とすら僕は思う。
これ以外に日本語に馴染まない用語は、
二死満塁、犠牲フライ、振り逃げ、隠し球、
変化球、魔球、審判、
などなど、
日本語に書き換えられたんじゃない?
このへんの、
語感のハイブリッド感が、
実は「日本人に親しみやすい」原因じゃないかと思った。
一方、「最近の変化球」は打ちづらい。
スプリットフィンガーファストボール、
フォーシーム、ツーシーム、
などなど。
これらは「日本語の音韻」に馴染んでない気がする。
サッカーも代表戦は盛り上がるけど、
Jリーグがいまいちなのは、
日本語の音韻に馴染んでないからじゃないか仮説。
ゴール、ボール、サッカー、
くらいは打ちやすく日本語的だが、
オフサイド、ドリブル、PK、
アウェイとホーム、アディショナルタイム、
インプロビゼーション、オウンゴール、
カウンターアタック、クロスボール、クロスバー、
ゴールポスト、コンタクト、
イエローカード、クラブチーム、ユース、
コイントス、コーナーキック、フリーキック、
サイドチェンジ、サポーター、シュートレンジ、
スターティングメンバー、セットプレー、
ゾーンディフェンス、ツートップ、
フィジカル、ディフェンシブハーフ、
ニアサイド、バイタルエリア、ハットトリック、
ハーフタイム、フーリガン、ペナルティエリア、
などなどは、
言いにくいし書きにくい。
また、知らない時に頭の中で想像しづらい用語である。
一方、相撲は、
ラジオ中継がはじまったときに、
絵がないのに様子が伝わるように、
決まり手はすべて日本語で分かりやすい言葉で、
様子が浮かびやすいように定めたそうだ。
寄り切り、押し出しなんかはわかりやすいし、
ちょっと知ってれば、
上手投げ、下手出し投げ、なんかも絵が浮かぶ。
こうした、
「知らない人にも馴染みのある言葉に翻訳することで、
日本語として認識させる」
という工夫が、
サッカーには足りなかったと僕は考えている。
その外国かぶれがカッコいいんだぜ、
日本語はダサいぜ、
という風潮があったのはわかるが、
言葉がこれだけ馴染んでないのは、
一部の人しか見てないのは、
やはり日本語化できてなくて、
つまりは知性が足りてないんだと思う。
相撲や野球は、ラジオがあった。
つまり「言葉だけで」伝える方法を工夫した。
そこに「翻訳」という、
外来語をいかに日本語にするか、
という試行錯誤があったはずだ。
それは、「概念化する」という知的行為を経ている。
サッカーはTV中継からしかなかったのかな。
だから「見ればわかる」になってしまい、
知性のフィルターを通ってない気がする。
それは、
「言いづらい用語でよくわからん」
という、親しみにくさの温床になってるね。
日本代表戦は盛り上がる
(オリンピックと一緒だから)が、
Jリーグが盛り上がらないのは何故か?
を考える時、
僕は「それを認識する言葉の問題では?」
という可能性を指摘しておく。
薙刀式は、
日本語の流れを主に考えていて、
外来語に関しては日本語ほど重視していない。
もちろん外来音同時押しによって、
2文字表記の1モーラ文字(ファ、ヴィ、ティなど)を、
1アクションで打てる便利さはある。
けど、音の流れは日本語と根本的に異なる外国語を、
使いやすい指使いにしている保証はない。
日本語はかなり保証することの、
裏だと思う。
野球や相撲の専門語は、
かなり日本語に帰化した言葉だから、
薙刀式でも打ちやすい。
サッカーは、日本語帰化を経ていない用語だらけだから、
薙刀式では打ちづらい。
だから薙刀式をサッカー用語が打てるようにしたいとは思わない。
サッカー用語を使わずに、
なるべく日本語で描写するのが、
日本語作家の仕事じゃないかなと思うよ。
そういえば延長戦とか自殺点とか、
昔は言ったけど今は言わなくなったね。
そういう日本語の置き換えをやれば良かったのに。
サッカーを知らない人にも、
少しは想像できるだろうに。
「知らない人にも伝える」のが言葉の役割で、
「知ってる人しか知らない言葉で埋める」のは、
囲い込みでしかない。
僕はサッカーに、囲い込みの方法論をよく感じて、
少なくとも日本のサッカー業界はインチキくさいと思っている。
僕は言葉はひらくべきで、閉じるべきでないと考えるので。
2022年12月09日
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