であると、そのシチュエーションは面白くなってくる。
どこででもできることは、あんまりありがたくない。
この場所でしかできないから、ここを選んだ、
となると、それは「特別なもの」になる。
ありがたみが出てくるわけだ。
これに特別あつらえたスペシャルなものであると。
例を考えよう。
交差点の信号待ちを考える。
ここでしかできないことはなんだろう。
待つ、立ち止まる、歩き出す、
斜め横断、偶然向かいに知り合いがいる、
隣あった人と偶然何かのドラマが始まる、
車が突っ込んでくる、
信号に間に合いそうにない状況
などがあり得ると思う。
これのうち、ひとつだけしか使っていない、
たとえば「待っている間に、偶然向かいに初恋の人がいた」
という状況で交差点を使うとしよう。
だとしたら、
他に、
踏切り、銭湯の待合室、病院の待合室、トイレの前、
行列のできるラーメン屋が二軒あり、
ひとつの行列に並んでいたら、もうひとつの行列に、
などなど、いくらでもシチュエーションを交換できるわけ。
銭湯の待合室なんていいよね。色気もあるし。
あるいは、ラーメン屋の行列は無理やり考えたが、
こういうことだって面白いと思う。
逆にいうと、この機能さえ果たせば、
他のところでもできるならば、
もっともそれで面白いところを、シチュエーションに選ぶといいぞ。
で、
「待っている間に、偶然向かいに初恋の人がいた」
に加えて、
「車が突っ込んできて、事故が起こる」
という状況になったとしよう。
だとしたら、踏切だと電車が横転しないと成立しないし、
ラーメン屋の行列に車が突っ込んでくるってよほどのことだ。
隣のコンビニにプリウスが止まってて、
じじいが急発進してしまい、突っ込んでくる、
みたいな、ややご都合の展開を作らない限り、
同じことは実現しないだろうね。
この二つならば、交差点がぴったりだろう。
つまり、
なぜそのシチュエーションなのか?
という問いに対して、
「これ、かつこれ、かつこれ、かつこれを満たすのは、
こういうシチュエーションしかない」
というところまで詰めておくべき、ということだ。
逆に選ばれたシチュエーションは、
「必要条件を最小限度で満たせるところ」
が多いよね。
ただ「偶然再会する」ならば、
住宅街でも公園でもいいわけ。
ドラマチックにしたいなら、
夕景にしたり、
公園でピエロが大道芸をしてて、
吹いたシャボン玉が桜吹雪のようになってもいいわけ。
何をするためのシチュエーションなのか、
どういう機能を利用するのか、
ということを詰めておかないと、
簡単にシチュエーションなんて変わってしまう。
つまり、あやふやで、考えていないシナリオになってしまうということだ。
ただ会話したいときに、
公園なのか、バーなのか、喫茶店なのか、
怪人に追いかけられて逃げ切り、
塀の後ろに隠れたあとなのかで、
まったく変わってくる。
こういうことをつねにするべきだ。
シチュエーションを変えて考えるわけ。
なぜこのシチュエーションがいいと思ったのか、
このシチュエーションのどこの機能を利用しているのか、
それが同じ、別のシチュエーションはあるか、
あるとしたら魅力的なほうを選んだほうがいいか、
その別シチュエーションであり得る、
どういう機能を他に使うといいか、
なんてことを考えると、
地の利というか、「シチュエーションをうまく利用している」ことになるだろう。
地下鉄のホーム。いいね。
学校の屋上。いいね。
好みでシチュエーションを選ぶのもいいが、
「そのシチュエーションである必然性」を考えよう。
その必然性とは、
雰囲気ではなく、機能であるということだ。
2022年12月24日
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