2022年12月22日

結末を逆にするエクササイズ

今書いてるものの結末を、
逆にしたらどうなる?


真逆はなんでもよい。
完全勝利を完全敗北にしてもよいし、
敵の完全勝利にしてもよい。
(同じものとは限らないだろう)

恋愛ものならば彼女をゲットできないでもいいし、
最後に彼女が死んでもよい。

宇宙人に侵略される話ならば、
最後は支配されて終わってもよい。


そのときに何が起こるだろう?
テーマが逆になるだろうか?

「もし、テーマをそのままにするとしたら、
その結末でもそのテーマを描けるだろうか?」
をやってみるといいよ、
というエクササイズ。

宇宙人に支配されるエンドに変更するとして、
人類の英知がテーマだとしたら、
支配される振りをしていったん彼等を理解する工程を挟む、
という落ちで終わるかもしれないね。

で、また結末をもとに戻す。

さっきやった落ちになるような、
展開ってあるかな?って考えるのだ。

宇宙人に侵略されるストーリーで、
いろいろバトルする話だったとしても、
なんと一回向こうに敗北し、
全人類が支配される展開があるってことなんだよね。
で、いったん支配されてるふりをして、
彼等を理解する過程がある。
そこから反旗を翻し、
ついに宇宙人を撤退させる、
という展開を考えられるだろう。

つまり、
一個深い話をつくることが出来るかもしれないよ、
ということだ。

テーマが逆になるだろうか?
あさっての方向に行くだろうか?
それでもテーマに落とすには、
結末をどうすればいいか?

これらを考えることで、
ひねりが加わることになるんだよね。

容易に想像できるように、
これはミッドポイントのかりそめの敗北になったり、
二幕後半のボトムポイントになったりする。
そこからの逆転が面白く書ける可能性になるわけだ。

あるいは、もともとバッドエンドで、
皮肉な落ちだった話なのに、
ハッピーエンドにしてしまうと、
テーマの周辺で何が起こるか?ということだ。

それでも皮肉を描くことって可能かな?
などと無茶ぶりをしてみるわけ。
そうなると、別の筋肉で話をまとめる必要性が出てくる。
この無茶ぶりが面白いよ、という話。


で、さらに考えると、
これを二回三回やれば、
二転三転する話になるのでは?ってこと。

つまり、二転三転する話には何が必要か?
という問いに答えるのがこれだ。

単なる展開で二転三転するだけじゃ、
面白くないんだよね。

「もしその結末になるならば、そういうテーマとして、
これは描かれることになるだろう」
という予測と闘っていないとだめだということ。

「ああ、勧善懲悪なんだから、正義の勝利でおしまいなのね」
と思われているときに、
「勧善懲悪とは限らない」という方向にいったん話が進むと、
ドキドキするよね、
ということ。

単に正義が敗北するだけだと、
「まあ最後には正義が勝つんでしょ」という安心があって、
それじゃあ面白くないということだ。

「勧善懲悪だと思っていたのに、
実はそうじゃないと示す話?」
と思わせての、
「やっぱ勧善懲悪なのか!なるほど!」
に落とすようにすると、
観客は振り回されて、
ドキドキするよ、ということ。

いらないものに振り回されてもうっとうしいだけだけど、
面白いものに振り回されると、
ドキドキする。
「一体この話は、どこへ向かっているのだろう?
まさか……」
という不安と、ここへ向かっているはず、
という思いとが交錯するほうが、
ドキドキするんだよ。
道に迷っている?と思い始めた、あの感覚に近いかもしれない。

もちろん、
単に偶然解決しただけではなく、
主人公の行動の結果、
ついに解決した、という必然性のあるものにならないと、
せっかくの不安と解消もただの出来の悪さになるけどね。


逆の結末だったらどうなる?
逆境を突破する面白さよりも、
「もしこれだとしたらテーマはこうなってしまう」
を想像させるようなものにしていくべきだ。

単に結論の見えない話は面白くないが、
結論が右往左往していると、
ドキドキするよね。どっちなんだい!と。
それをいい意味に利用しよう。
posted by おおおかとしひこ at 02:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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