今書いてるものの結末を、
逆にしたらどうなる?
真逆はなんでもよい。
完全勝利を完全敗北にしてもよいし、
敵の完全勝利にしてもよい。
(同じものとは限らないだろう)
恋愛ものならば彼女をゲットできないでもいいし、
最後に彼女が死んでもよい。
宇宙人に侵略される話ならば、
最後は支配されて終わってもよい。
そのときに何が起こるだろう?
テーマが逆になるだろうか?
「もし、テーマをそのままにするとしたら、
その結末でもそのテーマを描けるだろうか?」
をやってみるといいよ、
というエクササイズ。
宇宙人に支配されるエンドに変更するとして、
人類の英知がテーマだとしたら、
支配される振りをしていったん彼等を理解する工程を挟む、
という落ちで終わるかもしれないね。
で、また結末をもとに戻す。
さっきやった落ちになるような、
展開ってあるかな?って考えるのだ。
宇宙人に侵略されるストーリーで、
いろいろバトルする話だったとしても、
なんと一回向こうに敗北し、
全人類が支配される展開があるってことなんだよね。
で、いったん支配されてるふりをして、
彼等を理解する過程がある。
そこから反旗を翻し、
ついに宇宙人を撤退させる、
という展開を考えられるだろう。
つまり、
一個深い話をつくることが出来るかもしれないよ、
ということだ。
テーマが逆になるだろうか?
あさっての方向に行くだろうか?
それでもテーマに落とすには、
結末をどうすればいいか?
これらを考えることで、
ひねりが加わることになるんだよね。
容易に想像できるように、
これはミッドポイントのかりそめの敗北になったり、
二幕後半のボトムポイントになったりする。
そこからの逆転が面白く書ける可能性になるわけだ。
あるいは、もともとバッドエンドで、
皮肉な落ちだった話なのに、
ハッピーエンドにしてしまうと、
テーマの周辺で何が起こるか?ということだ。
それでも皮肉を描くことって可能かな?
などと無茶ぶりをしてみるわけ。
そうなると、別の筋肉で話をまとめる必要性が出てくる。
この無茶ぶりが面白いよ、という話。
で、さらに考えると、
これを二回三回やれば、
二転三転する話になるのでは?ってこと。
つまり、二転三転する話には何が必要か?
という問いに答えるのがこれだ。
単なる展開で二転三転するだけじゃ、
面白くないんだよね。
「もしその結末になるならば、そういうテーマとして、
これは描かれることになるだろう」
という予測と闘っていないとだめだということ。
「ああ、勧善懲悪なんだから、正義の勝利でおしまいなのね」
と思われているときに、
「勧善懲悪とは限らない」という方向にいったん話が進むと、
ドキドキするよね、
ということ。
単に正義が敗北するだけだと、
「まあ最後には正義が勝つんでしょ」という安心があって、
それじゃあ面白くないということだ。
「勧善懲悪だと思っていたのに、
実はそうじゃないと示す話?」
と思わせての、
「やっぱ勧善懲悪なのか!なるほど!」
に落とすようにすると、
観客は振り回されて、
ドキドキするよ、ということ。
いらないものに振り回されてもうっとうしいだけだけど、
面白いものに振り回されると、
ドキドキする。
「一体この話は、どこへ向かっているのだろう?
まさか……」
という不安と、ここへ向かっているはず、
という思いとが交錯するほうが、
ドキドキするんだよ。
道に迷っている?と思い始めた、あの感覚に近いかもしれない。
もちろん、
単に偶然解決しただけではなく、
主人公の行動の結果、
ついに解決した、という必然性のあるものにならないと、
せっかくの不安と解消もただの出来の悪さになるけどね。
逆の結末だったらどうなる?
逆境を突破する面白さよりも、
「もしこれだとしたらテーマはこうなってしまう」
を想像させるようなものにしていくべきだ。
単に結論の見えない話は面白くないが、
結論が右往左往していると、
ドキドキするよね。どっちなんだい!と。
それをいい意味に利用しよう。
2022年12月22日
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