物語は点ではない。
点を集めても線にはならない。
時間の表現には、
点でないものが必要である。
点の表現を考えよう。
たとえばイラスト。
決めポーズや、躍動感のある瞬間、
穏やかな時間の瞬間など、
色々な瞬間を切り取っていると思う。
それは、その前後におけるピークの瞬間だよね。
それをPとする。
ある時刻t1からt2までの間のピークがPだ。
ということは、P以外の、
t1からt2は、Pより小さな値であるよね。
イラストや写真というのは、
マックスのPで、「Pで埋められた時間」を我々に提供するものである。
t1からt2を、模式的に表現する。
マックス値がPだとすると、
ロ ロロロロロロロロ
ロロロロロ ロロロロロロロロ
ロロロロロロロロロ ロロロロロロロロ
左が現実の時間、
右が、ピークを固定したことによって、
我々が得るイメージである。
つまり、イラストや写真は、
「ピークで我々の感情を埋める」装置である。
奇跡の一枚ができたら、
どうやったってそれ以下になるので、
しばらくPで前後を埋めとこ、
というわけだ。
すなわち、点による芸術は線を隠蔽している。
線というのは上がり下がりを楽しむジェットコースターだ。
しかし点というのは、上がりも下りもしない、
頂点だけを掬い取る芸術である。
これが、
「場面場面は書けるが、ストーリーが書けない」
ことの正体である。
点はピークしか興味がない。
間の繋ぎは下がるから、
下がるものを書くわけにいかない、
とでも思うのだろうか?
そうではない。
上がったものが下がり、下がったものが上がり、
常に変動するうねりを描くのが線である。
渦潮の、一番いい模様を描くのがイラストや写真で、
ムービーは渦潮の変化を描き続けるのである。
ジェットコースターの推進力は重力だ。
だから最初にめっちゃ上がって、
あとは下がり切るだけだ。
物語はこうではない。
むしろどんどん上り詰めていく。
推進力は、登場人物の動機であった。
ほっておけば下がっていってダメになる現在の状況
(例 宇宙人の侵略、○○部がつぶれる、
ヒロインに恋をしたがどうすればいいか分からない)を、
このようにしたい、このようにするべきだ、
と思い行動して、
上げていく(=解決に近づける)ことが、
物語である。
だから動機は強くなければならない。
登り切るだけの強い動機でないと登れないからね。
最初から強いと勢いがあるけど、
徐々に増していくタイプもありえる。
ジェットコースターは惰性で落ちていくが、
物語は自らの意思で上り詰める。
もちろん、全成功するわけではなく、
紆余曲折があり、上がるだけではなく下がったり、
なんならドン底までいき、努力の台無しなどもある。
そして大逆転したり、大逆転されたりしながら、
ついにピークに上り詰めるわけだ。
この、上下動の設計が、線の設計である。
点をどう集めても、線の設計をしてない、
という意味がわかるだろうか。
物語のPしか、点は見てないわけ。
t1からt2の、二時間の上下動をどう面白くするか、
という努力と、
オイシイPを見つけてそこより下を全部埋めたろ、
という点の考え方とは、
全く異なる次元にいるのだ。
無限分割した点を集めたら線になるか?
数学的にはなるかもしれないが、
我々が作るものにはないと思う。
なぜなら点の方法論は、
小さな区間であれ、ピークであるPを見せたい、
などと思うからだ。
これはムービーの考え方ではない。
俳優の中に、
時々演技をしながらも、
「こっち側の顔のほうがよく見える」とか、
「こうした方が見栄えが良い」とか、
気にしながらやる人がいる。
これは点の考え方で、線の考え方ではない。
もちろんキメのところでやるのはいいけど、
ムービーはその瞬間を使うのではなく、
上下動をメインにするわけだ。
じゃあ点P1、点P2を重視して、
あとは適当に流す、が正解だろうか?
僕はそうは思わなくて、
P1、P2を固定したとしたら、
そこに至る上下動をどうリアルに、面白く、
ダイナミックに見せるか?
を考えるべきだと思うんだよね。
線はあばれてごにゃごにゃするから、
ピン留めをいくつかしておき、
その間を考えることで、
思考の負荷を減らすことは、
よくやることではある。
ただ、P1とP2だけしか見なくて、
その他は適当に流してたら、
いつまでたっても線をつくってないわけだ。
実のところ、このPはいくつあるだろう?
僕は3でもいいし、100でもいいと思っている。
その間の線が面白ければ、
見ている側は気にしていないし。
歌舞伎のような決めポーズだけを見に来ているわけではないし。
ただ点を集めても、
決めポーズ集、画集にしかならず、
線にはならない。
動機、行動、その結果、それを受けての次の行動、
上下動がなければ、
決めポーズ集であり話は動かないわけだ。
話は決めポーズではない。
決めポーズはPで前後をマックス上げることで、
線は上下動をコントロールして楽しむことだ。
Pはオチしかない。
もしP未満がカッコ悪いと思うなら、
あなたは線に向いてないかもしれない。
物語とは、オチ以外P未満の状態ばかりを描くのだ。
2022年12月28日
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