日本語は決まった構造がなく、
なにかしらをくっつけて書けば文ができあがる、
膠着語という世界に少ない類の言語だ。
とても便利なのだが、
うまく語順を選ばないと多義性を生み、
誤解を生むことがある。
これはそれに気付かされる良問。
https://twitter.com/kasky90667020/status/1600971896472109057?s=20&t=zGshe2R4LHDo_O-lnDiTKQ
数学の世界や理系の世界では、
一意という言葉がよく使われる。
多義と逆と考え良いだろう。
ひとつしかなく他はない、というような意味だ。
ちなみに英語だとunique。
「唯一の」という方のユニークだね。
だから理系の人で「これはこれに対してユニークである」
なんて言い方をする人がいるけど、
門外漢からしたら、
「たのしいのかなあ」「変わってるやつなのかなあ」
なんて誤解されかねず、
それこそ一意性のない話になってしまう。
(そもそも日本語のユニークは、uniqueの一部しか使われていない。
こうしたカタカナ語で元の意味から落ちているものは、
たくさんあると思う)
さて、ということで、
あなたの表現に多義性を持ち込まないことだ。
僕は駄洒落を認めていない。
一意性がないからだ。
掛詞はギリセーフで、
それは二つの意味で成立することを、
省エネ化した表現として、の圧縮技術という程度に認識している。
ダブルミーニングはだから、
表現の下手なやつが真似しやすい、
三流表現だと思う。
ひとつに徹し切れてない、
中途半端なやつの誤魔化しだと。
逆に誤魔化したい時は、
駄洒落やダブルミーニングにするといい。
なんだか表現した気になるだろう。
大声を出したら歌を歌った気分になるのと、
同程度のレベルの低さだとは思うが。
というわけで、
一意性の話でした。
一意性は、全体にも関係ある。
一つの文章(作品)は、ひとつの意味に収束するべきだと思う。
多義性を曖昧に含んだままの作品は、
僕は駄洒落レベルだと考える。
2022年12月16日
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本多勝一の「日本語の作文技術」で多く言及されています。
「刑事は血まみれになって逃げ出した賊を追いかけた」
上記文は、血まみれなのは刑事なのか、賊なのかが不明確で、ダブルミーニングです。
これを解消する案は、例えば以下です。
(1)読点を入れること、
「刑事は、血まみれになって逃げ出した賊を追いかけた」(賊が血まみれ)
「刑事は血まみれになって、逃げ出した賊を追いかけた」(刑事が血まみれ)
(2)語順を変えること、
「血まみれになって逃げ出した賊を、刑事は追いかけた」
(賊が血まみれ)
「血まみれになった刑事は、逃げ出した賊を追いかけた」
(刑事が血まみれ)
現実的な解だと「二文にわけること」もありますね。
一文の単位で多すぎることを一文で書いてることが間違い、
ということは意外と指導されないかもですね。
とくにリライトの際に修飾語句ばかり増えてしまい、
情報量上がってるのに一文のまま、
というのは多い気がします。
twitter の例だと以下ですね。
「叔父が海外に行くことになった。その叔父を、私と父は急いで見送りにいった。」
随筆や小説などでは文体が変わってくるので、嫌がる人もいます。技術文書ではOKですけれど。
なお、文章の長さが所定値(100文字)を超えたときに警告するツールを自作して使用しています。
>随筆や小説などでは文体が変わってくるので、嫌がる人もいます。
そこを調子を整えながらもうまく書くのが、
筆者の実力だと思うんですよね。
修飾語句を付けたり削ったりしてるうちに、
訳の分からないキメラになってしまい、
顧客が本当に欲しかったものから離れることは、
よくあることですね。
>所定値(100文字)を超えたときに警告するツール
すげえ。簡単に出来て効果大かも。
リアルタイムだと鬱陶しいから、一気にかけるタイプなら便利そうですね。
日本語は文の切れ字がいっぱいあってややこしそうだな…
薙刀式の編集モードでいつも悩むところです。
でも空白とファイル先頭と、ぶら下がり禁則処理の文字だけ見てればいいのかな。
すこし面倒なのは括弧内の文の扱いくらいです。例えば
「叔父が海外(米国の支店である。)に行くことになった。」
のときに、括弧内の句点を無視するようにしています。
なるほどなあカッコ前は鬼門になりそうですね。
?!…あたりとカッコの組み合わせもあるし、
日本語は面倒だなあ。
あと「?」のあとにスペースを入れる人と入れない人もいるので、
ややこしい。
まあ「?」が含まれたら2文を1文とみなせば実用上はいいか。