2022年12月19日

危険じゃないアクションは面白くない(「アバター2」評4)

アバター2を調べると、
アクションに分類されていてちょっと興味ぶかかった。
そうかこれアクション映画なのか。
僕にはまったくアクションしていないように見えた。

ネタバレ全開で。


いや、銃を打ったり格闘しているし。
ドラゴンに乗って空中戦しているし、
捕鯨船(と仮に呼ぶ、悪の船)は転覆炎上するし。
爆発は起こるし、パワードスーツは闘うし。
これの何がアクションでないというのか?

僕は、ゲームっぽくて現実感がないと思ったんだよね。
たとえば格闘ゲームを見て、
ほんとに戦っているとは思わないじゃない?
リュウが波動拳を出しても、
殴られたていで血が出ても、
体力が0になっても負けたと思うだけで、
死んだとは思わない。

この感じ。
スピードは速く、動きはダイナミックで、
ムービーとしての動きの興奮は極限にまで達しているとは思うものの、
「これCGでしょ」と思ったら、
「所詮現実のアクションじゃないし」
って思ったんだよね。

もしライブアクションで、
ジャッキーチェンが昇竜拳を打てば、
それなりのアクションになる。
でもCGのケンが昇竜拳を打ってもアクションにならない。
ジャッキーの動きよりもケンが派手に昇竜拳を打ってもだ。

なんでだ。

やはりアクションは、
「肉体の危険を伴う」ものでなければならないのでは?
ジャッキーのアクションがいいのは、
「そんなん失敗したら死ぬやろ」だからだと思う。

死なないにせよ、
「失敗したら大けが、あるいは俳優生命に影響がある」
くらいのことをやっているから、
僕ら観客は無責任にも興奮するんだよね。

血糊だって血糊ってわかっているのに、
「そんなに血が出たら死んじゃう」って、
直観的にわかるからハラハラするんだよね。
それはCGの血じゃだめで、
「限りある液体」でなければならないと思う。

仮に実写と区別がつかないCGが出来たとしよう。
でもそれがCGだと分った瞬間、
ハラハラはなくなると思う。
「なんだ、ほんものの人間じゃないのか」と分った瞬間、
夢は冷めてしまうと思う。

アクションの真髄は、
「それ失敗したらケガするぞ、死ぬぞ」
でなければならないと思う。
その、死の危険を我々は楽しむのだと思う。
無責任に安全なところからね。
それは、ローマ時代の剣闘士から変わっていない。
人の命がかかったものを、
我々は金を出して熱狂するのである。

つまり、
劇中でCGのキャラが死のうが生きようが、
どっちでもい。
CGは生きていないからだ。
You WinだろうがYou Loseだろうが、
生きてても死んでてもどっちでもいいのだ。
それは約束事の中の現象に過ぎない。

一方、ライブアクションで人が死にそうになることは、
ハラハラする。
我々が命を持ち、死ぬ存在だからではないかと思う。


どれだけ青いやつが闘いで死んでも、
まあCGだしな、ってなってしまう。
「タイタニック」でつくられた、
船から落ちていくほとんどの人はCGだと僕らは知っているし、
それは「指輪物語」の戦のシーンとかでも使われたから、
こいつらが死んでも別に痛くないと思ってしまう。
所詮記号だ。
仮に広島に原爆が落とされるシーンがあり、
蒸発する人間がCGで作られていたら、
まったく痛みは伝わらないと思う。
それよりも人が火だるまになりながら熱い熱い、
って言っているほうが痛みが伝わる。
撮影とはいえ、それは危険だと分るからだ。

アクションやべえな、
って僕が思ったのは、
捕鯨船の小舟がワイヤーで引っ張られて岩に乗り上げる所だな。
でもこれもよくできたCGなんでしょ?
と思ってしまい、まあいいかで流してしまう。
そうだよな。そんなに簡単にガソリン爆発しないだろうし、
などと劇中のご都合を読み取ってしまうんだよね。

そこに至るまでの、CGたちのアクションが、
なんら危険を感じなかったので、
別に、って思ってしまうんだよな。
かりにイルカを訓練して、
子供の俳優の手を鞍のようなものに結んで、
イルカを自由に泳がせたら、
ちょっと危険だろ、大丈夫か、
ってハラハラすると思う。
でも実際のCGの子供たちが訓練するところは、
目には気持ちいいが、別に危険を感じることはなかった。

これは監督の技量にもよるだろうが、
痛みや恐怖や危険を感じないのが詰まらなかったんだよな。
よかったのは、
クモ状の敵マシンがわらわらわらと寄ってくるところで、
それは本能的に恐怖を感じる動きになっていたな。
ゴキブリのキモさと同じだからだろう。


つまり、
危険がないとアクションは面白くないんだな、
ということを改めて理解した。

もちろん、事故がないようにとか、
保険がかかっているとか、
トリック撮影があるとか、
現実的にはいろいろあるんだろう。
だからアクションそのものが詰まらなくなっているよね。

昭和の時代のアクションのほうが面白かったのは、
命が安くて無茶をしていたからだろう。
よくTwitterでも引用される、
めちゃくちゃ高い煙突の上にいるV3なんて、
命綱なしでマジであそこで立っているだけだからね。
ただ立ってポーズをつけてるだけだが、
マジやべえぞ、
というのは伝わるものだ。
そのやばさこそが、
アクションの命だと思う。

つまり、
アバターのアクションはやばくなかった。
子供に見せられるアクションということかな。
そんなものは映画ではない。
この平和な安定した社会から、
いかにはみ出して、非日常に行くかが、
物語だというのに。

CGのアクションで興奮できる人は幸せだな。
僕はモデリングしてカメラレイヤーを動かしているだけにしか見えなくて、
全然そこに命や危険が見えない。

崖っぷちぎりぎりで、
なんとか成功して生還する。
それこそが面白い映画の条件なんじゃない?
posted by おおおかとしひこ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック