2023年01月12日

雑念とアイデア

雑念が湧くときって、
自分が別案を無意識に探しているときって気がする。


集中して何かを進めているときは、
他のことを考える暇がない。
どんどんプロセスが進み、
よどみなく次が出てくる。
しかしそれはいつか停滞するときがくる。

それ自体はいいと思う。しょうがない。
オープニングからエンディングまで一気書きできることなんて、
滅多にないかも知れないし。

で、なかなか進まないものを目の前にして、
雑念が湧くことってあるよね。
そのとき、
いやいやいかんいかん集中しなければ、と思うか、
しばらくその雑念を考えるかは、
なかなか難しい選択だと思う。

雑念が湧いているときって、
無意識に出口を探しているときだって思うんだよね。
つまり、
「そのままじゃだめだから、
いったん横を見たり、後ろを振り向いたりして、
迷路の出口を探す」という行為に近いと思うわけ。

だから、その雑念にまかせて、
しばらく考えるといいかもしれない。
それが新しいアイデアを連れてくることがほんとうにあるからね。
でも毎回とは限らない。
ただの時間がつぶれただけのこともある。

経験的に言えるのは、
能動的な雑念であるべきで、
受動的な雑念であるべきではないということ。

つまり、
YouTubeを見るとか、ゲームをするとかは、
受動的な雑念にしかならない。
すでに出来上がっているものを享受するだけになるから、
自分の脳が探索をしようとしないと思う。
雑念は森に入る猿のような感覚であるべきだ。
考えのパーツになるようなものが、
雑多に転がっているようなところへ行くべきだ。
スーパーマーケットとか、ジャンク置き場のようなイメージ。
それを組み合わせることを想像できるような、
雑念を湧かせるといいよ。

なんか興味のあるニュースをたどるとか、
全然関係ない景色を見たり、単発的な何かに触れるのが雑念としてはちょうどいいレベルだ。

体系だっているものは雑念ではなく享受とか勉強になってしまい、
自分の脳を止めることになる。
もちろん、脳を止めて今日は閉店ガラガラにしてもいいが、
しないならば、
脳が止まらないような雑念の湧き方になるように、
自分をコントロールする方法を学ぶべきだ。

ああ、思いつかなくて現実逃避しているなあ、俺、
ということが自覚されたら、
どういう雑念の中にいるか、
自覚してみよう。
そのうえで、もとの集中に戻れるようなものをずっと意識しておこう。
つまり、片足をもとのものに残しつつ、
片足だけ雑念に突っ込むのがちょうどいい。
向こうにどっぷりつかってしまうと、たいてい無駄な時間が過ぎただけになる。

あるいは、一回離れて全然違うことを考える、
というのは有効だ。
それは時間がかかることを覚悟することだ。
映画一回2時間だからね。
ゲームならば一晩やってしまうこともあるだろうし。
それだったら寝たほうがいいということもある。
読書ならもっと時間が取られてしまうだろうなあ。


雑念の沸かし方にもいろいろあるということだ。

長年アイデアが出なくて雑念慣れしていると、
雑念の状態で、
自分の状態が分るようになってくる。
ああ、今日はもう無理だなと思うことも、
仕事のうちだ。

ただし若いうちは、
自分の限界を超えるまでやろう。
限界を超えないと限界が広がらないからね。
posted by おおおかとしひこ at 01:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
自分は、煮詰まって進まない時や、受動的な雑念に逃げそうな時は、意識的にこのブログを覗いて脚本脳に戻すように努力するのが作戦として定番になりつつあります(笑)
今年も1年脚本論楽しみにしています。
よろしくお願いします。
Posted by 解無後 at 2023年01月12日 15:05
>解無後さん

軸足をフラットに保つことは、いつも難しいものです。
まあ適当にネタの参考にしてください。
書ける限りは書こうと思っています。
Posted by おおおかとしひこ at 2023年01月12日 15:21
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