2022年12月28日

【薙刀式】手書きの書き写しとコピー打鍵

は、違うんだろうか?一緒だろうか?


慣れていないときは、
やはり全く違うような違和感があると思う。

慣れてくると同じになる説と、
いややはり違う説があると思う。

僕は、回路が違うから違うのでは、
と予測している。


手書きの書き写しでは、
書き方がわかる。
これはこう書いたのだ、
という筆順が明らかだから、
その通りにすれば良いと思う。

しかしコピー打鍵では、
漢字を読んで変換して選択するという、
文字を書くこととは関係のない手順が入る。

学習オフにして、
スペース何回押せばその候補だと覚えている強者
(タイパーの上位者はマジでそれをやるらしい)
は置いといて、
候補選択と文節伸縮が必要な場合は、
ほぼランダムノイズが混ざると思う。

漢字→読み→打鍵→漢字と、
一意に回路がつながるなら問題ないが、
漢字→読み→打鍵→ランダムを制御→漢字
というランダム回路が途中に入るわけ。

整理すると。

手書き:
 読み→直接その字を写す(直結回路)

コピー打鍵:
 読み→ランダム制御→確定(ランダム回路と制御)

の違いがある。

便宜上しょうがないとはいえ、
このランダム制御を一回通さないといけないのが、
ノイズになってしょうがない。


手書きだと、なんとなく内容は頭に残る。
でもコピー打鍵は、
制御した記憶はあれど、
内容の記憶まで追いついてない気がする。

これは僕の慣れの問題かも知れない。


文字を書く時って、
波打ち際の制御
(言葉選び、係り結び、字が間違ってるかどうか、
自分の意思をうまく表現できてるか)だけでなく、
全体の論旨の制御
(全体の論理に対して、今書いてることは妥当か、
流れ的にうまくいってるか、次どこへいくべきか)
を同時にやっていると思う。

自分の言葉を書く時は、
全体の制御の割合が結構あるので、
波打ち際のランダム制御の影響は小さい
(そして僕は大体ノールック確定している)。

しかしコピー打鍵の場合、
全体の論旨理解よりも、
波打ち際のランダム制御に気を取られがちな気がする。

波打ち際に気を取られるが故に、
全体が疎かになっているというべきか。


これは慣れでカバーできるのかしら。
それとも、
自分から出す場合と、写す場合は違うのかしら。


僕は昔からコピー打鍵が苦手だが、
文章の内容を考えちゃうから、
波打ち際の制御がおっつかなくなるのだと思う。

しかもタイパーのコピー打鍵は、
考えたらダメらしいから、
内容の記憶を0にして、
波打ち際に全振りするのだろう。

つまり、
本来の写経=内容を吟味する、
とコピー打鍵は、本質的に真逆だね。

書道で綺麗な文字で写経したとしても、
内容は読んでない、みたいなことが、
コピー打鍵で起こるっぽい。



いや、
ととさんが二ヶ月も新聞社説をコピー打鍵してて、
想像するだに僕は無理って思ったんだよね。
内容を理解しようとして、
手がもつれると思うんだよな。
むしろ一回通し読みして内容を理解したあとに、
無心でコピー打鍵した方がいいかもしれない。
つまり、理解と作業の分離だ。

手書きだとたぶん、
理解しながら写す作業ができそう。

でもコピー打鍵だと、
理解とコピー打鍵を分けた方がいい気がする。

新聞社説の文字数(600字前後)でもそうだが、
仮に初見の小説(10万字程度)でも、
先に一回通し読みしたほうが、
あとあと楽になる気がするな。


これを、
手書きとタイピングは同じなのである、
と単純化していいのかな?

僕はなんか違うと思う。

僕の手書きスキルが平均より高いのはわかってるし、
タイピング能力がそれに追いついてないだけかも知れない。

他の人はどうなんだろ。

僕は少なくとも、
漢直状態で概念で理解して脳内発声もない、
漢直状態で出力できる手書きと、
漢字→読み変換→打鍵→ランダム制御→漢字
の工程が挟まるものは、
同じにならないと考える。


これらを比較して、
自分の中でどうかを観察して議論してる人は、
ほとんど見たことがないので、
他の人がどうかはわからない。

少なくとも僕は、
まだタイピングは手書きのようにならない。
こまったもんだ。
posted by おおおかとしひこ at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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