2022年12月29日

デジタルは時間経過を表現しづらい

昔は、
「会議で皆必死で考えるが妙案が出ない」は、
灰皿いっぱいのタバコで表現できた。
今のPC会議ではそれを表現できない。
アナログ時計の針の進み?
それすらスマホに置き換わってしまったよね。

デジタルは、時間経過を表すのに向いてない説。
逆にいうと、時間経過はアナログでしか示せない説。


原理的には、
デジタルは時間を超越するために作られたものだから、
時間劣化をしないわけだ。

データの永久保存や、
アンドゥなどの計算可塑性はそうしたことだ。

だから、
PC会議で、妙案の出ないまま数時間が経過した、
という描写は大変難しい。
コーヒーポットが置かれていて、
それが空になる(ほどみんな飲んだ)とか、
紙資料が散乱したままとか、
あまりにもアイデアが出ないため、
それで折り鶴をつくったとか
手近にあるアナログで表現するしかない。

つまり、
逆に言えば、
アナログとは時間経過して劣化するものである。

時間を表現するメディアとしての、
ムービーの本質かもしれない。

時はアナログでしか表現できず、
デジタルでは表現できない、
まで踏み込めるかな。いいすぎかしら。


先日のコメントで、
「自分の病名を検索して、
不治の病であることに悩む」
という描写がつまらん、という話になった。
そんなの前から知ってることだから、
今更検索せんやろと。

これが本であれば、
医学書のそのページに折り込みや付箋がついてて、
パタンと開くとそのページがすぐ出るくらい、
何度も開け閉めして本の閉じが取れかかってる、
みたいにすれば、
「何度も何度もこのページを見た」がわかる。
アナログである紙や製本が劣化しているからだ。
なんなら書き込みもあり、
「なぜ治療法がないのだ」と絶望があり、
それがグジャグジャに消されているかもしれない。

アナログなら簡単なこんな描写も、
デジタルでは表現しづらいよね。

検索するだけじゃあれだから、
ブクマがあるとか、
タブでいつも立ち上がってるとか、
付箋アプリでURLが集めてあるとか、
では、
なんか味気がない。
医学書がボロボロになっているほうが、
説得力がある。


松本人志のギャグの名作で、
「テトリスが得意な松本さん」という振りに対して、
「角が丸くなるまでやった」というのがある。
テトリスはデジタルだからそれはないのだが、
アナログのやり込みをうまく表現してて、
天才だなあと思った。

テトリスでは、やり込みという時間経過を示せない。
ある程度操作が早いとかで示せるが、
膨大な時間をそこに注ぎ込んだことを、
それだけじゃあわからないよね。

コントローラーがボロボロになってて、
接着剤やガムテや3Dプリントで補強している、
的なアナログで表現した方が、
よっぽどいいわけだ。


プレゼントがアマゾンギフトだったら、
全然詰まらない絵になる。
スマホがピコーンってなるだけでしょ?

素敵な封筒に入ってる図書券のほうが、
よっぽどその人の嬉しさを表現できると思う。


で、
時間経過を示すには、紙を使うと便利かも、
というテクニックを出しておく。

劣化(印刷、紙自体の、手書き、子供の時の文字、老人の書く旧字体)、
を示しやすいからだ。
他にも、物体となっているから、
どこかにはさんであったものがはらりと落ちるとか、
封筒に入れて、封筒ごと電車に置いてきてしまうとか
(電車の席に置き忘れた封筒で表現できる。
「PCの中のファイルが見つからない絵」は撮れない)、
それを川に捨てるとか、
びりびりに破くとか、
破いたけどセロテープで貼るとか、
燃やすとか、
相手に叩きつけて断るとか、
いかようにも小道具として表現できることになる。


そういえば昔保険のCMをやったときに、
「ケースクローズド」を示す絵を撮りたくて、
「ネクタイを緩める」を提案したら、
「勤務中にだらしないことはしない」と言われてNGだった。
「ノートPCを閉じる」と提案したら、
「勤務中に閉じることはない」と言われ、
「ファイルをマウスでクリックして閉じる」と提案したら、
「お客様の情報を画面で開示できない」と言われた。
ほななんやったらええんや。
契約書のないe契約だったため、
何も物理が存在しない、
とても厄介なCMだったなあ。
だから結局主役の織田裕二がやることって、
ジャケットをかっこよく羽織るしかなくて、
すぐネタ切れになったんだよな。


つまり、
PCないしスマホでは、
何も時間経過がない。
だから、
アナログ側(人間や小道具)をうまく使うしかない。

先の、
「病名を検索する」場面では、
ふつうの言葉ではそんなに早くないが、
その病名だけ異常に早く打てる、
という差をつけて表現する、
という提案をしてみた。

昔見たコントで、
おっさんがPCをぽちぽち打ちしてるのだが、
「おっぱい」だけ異常にブラインドタッチが速いやつを思い出したので。
それに気づいた隣の人が、
「尻」を打たせたが「尻」はそんなに早くなくて、
「巨乳」「乳首」とかおっぱい関係だけやたらと早く、
そういう性癖か、と探っていくコントだった記憶。

アナログ側、つまりそれを扱う人間の側で、
それらを表現するわけだね。


トムクルーズの記憶だからミッションインポッシブルだと思うのだが、
違う映画かも知れないが、
指紋認証のセキュリティを突破するために、
その場で敵の指を切り落としてピーって言わせる、
みたいな演出があった。
眼球認証かも知れないが忘れた。
とにかく、デジタルのことを突破するのに、
ハッキングとかデジタルの世界のことをやるのではなく、
アナログでやる考え方に驚いたものだ。

アメリカ映画で必ず出てくる、
扉を壊す斧の名前はmaster keyという。
しゃれた冗談だよね。

こうしたアナログを上手く使わないと、
デジタルだけの世界では表現が滞ると思う。


いまさらデジタルが無くなることはない。
うまく使い分けないと、
映画の表現は痩せていくと思う。

デジカメの時代はSDカード紛失とか使えたのに、
スマホでクラウドになったらなんもできんな。
写真すら、小道具として微妙になりつつあるね。

「バックトゥザフューチャー」には素晴らしい小道具の使い方があり、
駅前で配ってるビラの裏に、
ヒロインの電話番号がメモしてあるんだよね。
過去にタイムスリップして未来に帰れないとき、
「雷のエネルギーでもあればタイムマシンが動く」
「そんないつどこで雷が落ちるかわかるわけないじゃん」
のあとに、
ヒロインに会いたいとその手書きの電話番号を見て嘆き、
何気なく裏返すとそのビラは、
「時計台を保存しましょう」の社会運動。
○年○月○日の落雷によって止まった時計台は、
その時刻のまま止まって…
「雷が落ちる時間がわかるぞ!」という展開。

これは、
デジタルでは決して不可能な展開の速さだ。
これよりうまいデジタル小道具の使い方があるなら教えてくれ。


アナログは劣化する。
アナログはだから、時を表現する。

コーヒーメーカーのコーヒーが煮詰まっているのは、
よくある煮詰まった会議の表現法だけど、
コロナでそれがなくなったねえ。


劣化することこそが、時の正体かもしれない。
そしてそれを超えて、劣化以上のなにかを掴むから、
物語には価値があるのだろうと思う。
posted by おおおかとしひこ at 00:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「ザ・バニシング 消失」(1988年)を思い出しました。
冒頭、主人公は車で彼女と旅行に出かけるのですが、 途中立ち寄ったサービスエリアで、彼女が失踪してしまいます。 ここから、彼女を誘拐した犯人の視点と、彼女を必死に見つけ出そうとする主人公の視点が行き来して語られます。

ある時、犯人は町中でふと張り紙を見かけます。それは行方不明になった彼女の情報提供を呼びかける張り紙でした。そしてそこには「3年前 行方不明に」という文字が。
観客として「彼女が失踪した直後の時間軸」を見ているのだと思っていたら、一気に3年の月日が流れて、それでもまだ見つかっていないことがわかり、衝撃を受けました。

「X年後」というようなテロップで時間経過を見せるのではなく、偶然見かけた張り紙の中に時間情報を入れ込むと言う仕掛けが、自分にとっては新鮮で面白いなと感じました。

そこで「町中を歩いていて偶然見かける」というのを、デジタルの今の時代にどう表現するか?と考えましたが、しっくり来ません。

デジタルの空間では情報が偶然視界に入ってくることはほとんどなく、自分で検索したり、ニュースサイトに行って情報を得ないといけません。しかし、自分で見に行くことと、偶然見かけるのでは意味が変わってきます。

何気なくザッピングしていたら、 地元のニュース番組で行方不明を報じているというのは可能かもしれませんが、 3年前の失踪を報じる描写は都合の良すぎるように感じます。

かといって、本作と同じように町中に張り紙を貼ることができるかといわれると、今の時代は規制などもあってか、ほとんど張り紙を見かけません。

もう少し考えてみたいと思いますが、デジタル化していく時代は難しいですね。
Posted by TK at 2022年12月29日 09:34
>TKさん

カットバックしている二つの軸が、
同時進行かと思いきや違う時間軸だった、
というのは一種の叙述トリックですね。
最近だと「○の名は。」とか。一部伏せ字。

今でも駅の売店やコンビニがあるから、
新聞を買えば一応日付は見せられますが、優れたやり方とはいえない。
たとえば一方がクリスマスで、一方は正月、
みたいに微妙にずれていることは、周囲の景色で示せそう。
(服が違うとバレるので同じ季節でないといけない)

二人が同時にニュースを見ていて、
一方では「2023年になりました」とキャスターがいい、
他方では「2026年になりました」とキャスターがいえば、
違う年の1/1であることは示せる。
ハッピーニューイヤー2023と2026の花火がそれぞれカットバックすることも可能。
ただ、相対的に「三年後」を示すのはかなり難しいですね。

三年かけて変化のつくもの、
たとえば息子が中学に入学してて、今年高校生になるとか、
三年で枯れる花とか、
そんなものを説明しておいてから一発で示すことは可能かなあ。

デジタルでも行方不明のニュースに同じ文言を仕込むことは可能ですが、
張り紙のほうがビリッと破いてリアクションを取りやすいので、
アナログの方が強いよなあ。

デジタルは情報のみの霊魂みたいなもので、
アナログは情報が受肉したもので、
カメラは肉しか撮影できないと考えると、
整理しやすいかもです。
Posted by おおおかとしひこ at 2022年12月29日 11:03
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