2023年01月23日

プロゲーマーの「一生」は二回

というネタがあって笑った。

どういうことかというと、
「こいつ一生昇竜拳ぶっぱなすなあ」というとき、
二回連続でぶっぱなすと「一生」認定されるということ。

さらにどういうことかというと、
「二回連続でやると、繰り返しフラグが立つ」ということだろうね。


ストーリーの中で、
負けたときに再挑戦する、
さらに負けたときに再挑戦する、
ということをやると、
「繰り返している」と認定される、
ということだ。

もちろん、「繰り返している」という文脈ならそれもよし。
しかし意図していないときは、
二回繰り返してしまうだけで、
「一生繰り返している」と認識されるということだ。

これは編集やシナリオの改訂をしているときに、
うっかり気づかないことがあるんだよね。
自分の中ではストーリーの間は省略されていたり、
前にあったことで繰り返し感がなかったものが、
直結されて省略されたふたつのものがつながったときに、
意図しない「繰り返し感」になってしまうことが、
まれによくあるということだ。

何食べる? ラーメン。
何食べる? ラーメン。
となったら、
「ラーメンばっかかよ!」ってなるということ。

何食べる? ラーメン。
何食べる? カレー。
何食べる? ラーメン。
だったとしても、ラーメン多いなあと思うわけ。
じゃあどうするかというと、

何食べる? ラーメン。
飯食いに行かない?

という風に、仮にラーメンを食べにいくとしても、
段取りを変えるといいわけ。
そうすると、「繰り返し」はなくなるからね。

逆に、意図的に繰り返しを表現したいなら、
二回同じことを被らせるだけでいいわけだ。
そうすると、ゲーマー的には一生になるわけで。
こいつ一生ラーメン食ってるな、になるわけだ。


「被り」を気にするのは、
そうした理由もあると思う。
意図せざる繰り返し感をぬぐうために、
被りに気を付けることはとても大事だと思うな。

現実にTシャツ被りとかあると、
微妙に居心地が悪いよね。
そういう感じになるということ。

逆に同じことをしないことが、
時間軸を描くことだ、
ということも言えるかもしれない。
posted by おおおかとしひこ at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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