ハラハラするのは、原始的な失敗への恐怖だけではない。
テーマの確定がゆらぐ、その不安定さにある。
分かりやすく正義と悪としようか。
この戦いで勝利した者が正しいわけだ。
みんなで協力して頑張るべきと主張する正義と、
能力のある者が弱者を搾取するべきと主張する悪がある。
正義が負けそうになる。
となると、
「世の中では悪の方が正しいのかも知れない」
と皆が思うわけだよね。
このまま負けて終わったら、
正義側の主張は間違っていたとなり、
悪の主張が未来永劫正しいとなってしまうわけだ。
だからハラハラする。
「そんなはずはない」という感情移入と、
「このまま負けてしまうのか?」という不安が、
観客の心の中で拮抗するわけだ。
どっちなんだ?
どっちの主張を言いたくて、
この映画は終わるんだ?
ということに不安になるわけだ。
もちろんハリウッド映画ならば、
正義が勝つから、
これは一種のフェイントというか、
安全なスリルであることはわかっている。
だが舞台が現代の日本なら、
そうとも限らないかもね。
上級国民だけがアベノミクスを吸い、
庶民に降りてきていないこの感覚は、
悪の主張が正しいのだ、
お前ら這い上がるチャンスはもうないぜ、
という主張を正しいとする気がする。
いや、そうじゃないんだ、
という正義の主張は、だから難しい。
今の日本に正義が見えないのは、
悪が正しいかもなあ、と皆がなんとなく思っている、
この空気ゆえかもしれない。
それでも、
少なくともこの物語の世界観では、
正義側のほうが、安定して長く続くことを示せれば、
正義が勝つことを示せるわけだ。
これはいわば部分証明のようなものだ。
この部分証明が成功するのか?
それとも、所詮現実が正しいのか?
のどちらが物語の結論であるかわからないときに、
人はハラハラするのである。
「着地点がわからない」という言葉で示される。
これはずっと分からないのは、
単なるグダグダの話だが、
一瞬分からなくなり、
迷いが生じることが、ハラハラである。
そしてそれは、意図的に仕込まれた、
ジェットコースターの一部なわけだ。
失敗するかも知れないという不安は、
人生で自分の主張が通らないかも、
という不安と同じことである。
仮に、
ジャンケンで勝った方の主張を、
これから一年間正しいと見るとしよう。
正義の側の人と、悪の側の人がジャンケンをする。
確率1/2だ。
そして悪の側が発明をして、
正義の人の手をAIが予測して、
人間より速く勝てる手を出すとしよう。
そう、負けるかも知れないわけだ。
不安しかなくなり、
勝つ手段がなくなる気がするわけだね。
勝てないという不安(具体)だけでなく、
正義が負けて、搾取がただしい(抽象)とされてしまうことが、
不安なわけだ。
つまりテーマが危機になる。
この物語はそのように結論づけて終わってしまうわけなのか?
とハラハラがやってくるわけだ。
しかし正義側には秘策があり、
AIを狂わせる奇想天外な方法を見つける、
などのようにしていくと、
「それができるの?」と、観客は前のめりになってくわけだね。
具体は単にジャンケンなのに、
それがどんな抽象をかけたものなのかを定義づければ、
その具体の勝ち負け
(ジャンケンだろうが殴り合いだろうが、
自転車レースだろうが、バスケだろうが)
が、その抽象の勝ち負けになってしまう。
だから、ハラハラするのである。
映画「THE FIRST SLAM DUNK」では、
各人の主張のために、
皆バスケをやっている。
バスケというゲームをやっているのではなく、
その勝敗が、自分の主義主張が正しいという表現になる。
つまり、広い意味での自己主張を、
彼らはやり合っているわけだ。
三井が3Pを決めるたびに、
自暴自棄から不良になった誤りを正して、
立ち直ることが正しいと証明される。
流川がパスを出すたびに、
自分一人で戦うのではなく、
チームで戦うことが正しいと証明される。
花道が活躍するたびに、
理屈じゃない何かが支配していることが証明され、
逆転とは理屈でないことが証明される。
(ゴリのサブプロットは今回は省略されている)
そしてリョータがゾーンプレスを抜くたびに、
なぜ彼がドリブルを一人でやり続けてきたのか、
その価値が証明されるわけだ。
我々はそれを見たい。だから熱くなる。
そして「もうそれが正しくない」と証明される=負けるかも、
と不安になるから、ハラハラするのだ。
感情移入とは、
その人物の事情に同情して、
その人生観に共感することである。
その事情を解消して、
その人生観の勝利を見たいと。
それが不安になることは、
その人生観が正しかったと証明できないことだ。
我々はジャンケンの勝ち負けではなく、
バスケの勝ち負けではなく、
人生の、
主義主張の勝ち負けを見て、ハラハラするのだ。
このようにストーリーを作れれば、
ハラハラは揺さぶりとして楽しくなるだろう。
それが逆転逆転また逆転のシーソーゲーム、
バスケを持ってきたから、スラムダンクは面白いわけだ。
2023年01月01日
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