ってセリフを書こう。
それは説明の前に必ずあるはずだ。
説明が下手な人は、
説明が下手なわけではないと思う。
説明そのものよりも、
もっと大事なことが抜け落ちているから、
説明が下手なのだと僕は考えている。
それは、「聞く人が聞きたがっている気持ちを、
つくっているか」ということだと思う。
生命保険の勧誘に来られても、
「知らんがな」となると思う。
でも、
「時を超えて、君を愛せるか」と言われると、
「もし俺が死んだときに、君は一体どうなってしまうのだろう。
金を残せれば、その間だけは君たちは助かるかも知れない」
と思って、
生命保険の話を聞くことになるわけだ。
貯金以上の金が手に入るならば、
それは君に残せる何かだと。それは愛ではないかと。
その力が、あの小田和正の歌にはあるんだよね。
だから、
あの歌を聞いて泣いてしまうと、
生命保険の話を聞こうと思ってしまう。
そこから下手な説明をされたらまあいいやとそっ閉じするのだがね。笑
で、
そもそも聞く人に、聞きたいと思わせるようになっているか?が、
説明の「つくり」だといえる。
どうでもいい人に「つくり」をしないで説明だけをしても、
「うるせえな」でしかないのだ。
かつて多くのCMは、
聞く人に聞く気にさせるものを目的としていた。
しかし今のCMは、
聞こうとする人がいる前提で、
ひっかかればよいと説明だけを垂れ流している。
それはマーケティングの結果かもしれない。
これくらいの説明で聞く人だけをひっかけていけば、
商売が成り立つと過信しているのかもしれない。
でもそれは、
「知らんがな」という反発を受けていることに気づかないのだろう。
つまり、
一方的な説明になっているわけだ。
説明といえども対話である。
相手の気持ちに乗っからない場合、
相手の気持ちを無視した一方的な行為になるわけだ。
レベルは違うが、殴っているのと同じなのだ。
そうではない。
相手が説明を求めているように「つくり」をしっかりさせることだ。
相手がどうしても説明してほしい、
という風になっていれば、
どんな説明でもちゃんと理解しようとするだろう。
(よほど下手ならしらんが)
説明そのものよりも、
「説明を聞きたい」という風になっていないと、
世界一説明上手でも、たぶん効かないだろうね。
「一体どういうことだ?」
を入れてみるのは、そのチェックのためだ。
これから説明シーンが始まるのだが、
その直前に入れてみるとよい。
聞く方が、ぜひ聞きたい、ということになっていれば、
そのセリフは自然になるだろう。
いやいやそんなに聞きたい気持ちじゃないわ、ならば、
そのセリフは不自然になるだろう。
聞きたい気持ちが不自然なときに、
説明を入れたって、不自然な説明にしかならないということだ。
なので、
「一体どういうことだ?」
とセリフを入れてみて、
まったく不自然じゃなく、ぜひ聞きたいという流れになっているならば、
「一体どういうことだ?」を削ってもよい。
そうなっているかどうかのチェックに、
これは使える。
もちろん、説明の呼び水としても効果的なので、
削らなくて「一体どういうことだ?」を残しておいてもいいけどね。
説明をしなければ、
この先が理解できないから、
説明というのは入れるものだ。
でもそれは説明する側の事情でしかないよね。
煙草に「癌になる可能性があります」と書くのは、
書く側の事情でしかないよね。
そんなのどうでもいいわけだ。
もし煙草と肺癌について知りたければ、
もっとちゃんとした機関でググるだろう。
そんなものは、
聞きたくないのである。
たばこの説明書きを見る前に、
「一体どういうことだ?」と言ってから読む人はいない。
つまり、そんなものに興味がなくて、
「つくり」が効いていない証拠なわけだ。
それをぜひ知りたい。
どういうことになっているのか説明してほしい。
その気持ちが、説明の8割だと思う。
プーチンが何を考えているか、何時間かかってもいいから説明してほしいよね。
これが有事の時じゃなければ、そうは思わなかっただろう。
プーチンがどんな下手な説明をしても、
俺たちは聞くだろう。
そういうことだ。
「一体どういうことだ?」は、
こうしたことのチェックに使える。
「一体ウクライナ侵攻の意図は何なんだ? 説明してくれ」
と詰め寄れるよね。
あなたは説明したい。
しかし相手は説明されたくない。
じゃあ、相手を説明されたくなるように仕向ける。
それが、ストーリーテラーのやることだ。
2023年01月25日
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