2023年01月28日

上り坂と下り坂

人生と同様、物語には上り坂と下り坂がある。
ただ、単に成功と失敗だけとは限らない。


単純に成功していくときは上り坂だろう。
失敗していくとき、うまくいかないときは下り坂だろう。
だけどそれだけではない。
世界が開いていくときが上り坂で、
世界が閉じていくときが下り坂のように思う。

つまり、成功と関係なくても、
「世界が広がってゆき、どこをとっても自由に感じる」
という状態は上り坂にいるように思う。
つまり、可能性だ。
「世界はどうとでもなる」という感覚が、
上り坂を支えているように思う。
成功が上っていると思うのも、
得たものや得た過程ではなくて、
世界はどうとでもできるぞ、という感覚こそが、
上り坂にいる感覚なのではないか。

人生でも同じかもしれないね。
新入生は謎の自信を持っているし、
若者も謎の自信を持っている。
それは実績から来るものではなく、
単純に無知から来ている若さでしかない。
年を取ればその無知は危険であることがわかり、
「どうとでもできない」ことをたくさん知るので、
どんどん下り坂を感じるんだろうね。

さて、物語である。
その感覚をコントロールして、
上り坂と下り坂をつくることが出来るわけだ。

若さとか年取ったとかじゃなくて、
状況で、それをコントロールするわけである。
年取っていたとしても、
「これから世界は自由にコントロールできて、
いかようにもできるぞ」となれば上り坂だし、
無謀な若者だとしても、
「もう何をしても駄目で、何してもこれ以上よくならない」
となれば下り坂なわけだね。

それは行動に対して、
世界がどう答えるかで決まる。
何もしていない状況でそれは分らない。
行動に対する世界の答えというリアクションで、
今上っているのか下っているのかわかるわけ。

成功失敗は単純な指標だけど、
成功したっていい成功じゃない場合は下り坂だなとなるし、
失敗してもいい流れでも失敗は次まだチャンスがある、となって上り坂だったりする。
世界を自由に支配している感覚。
それこそが「主観的幸せ」といってもいいのかね。
全能感はそういうときにやってくる。

ファンタジーで「ドラゴンの背中に乗って飛べた」
なんてシーンは必ずそういうことに使われる。
それに匹敵するリアルなものはなんだろう?
それを思い付けば、
ドラゴン以上の上っている感じになるよね。
それは主観に過ぎないわけで。
で、その主観を説得するために、
事情の説明が必要なわけだね。
ぶさいくと付き合っていることが最上だと示すためには、
アイドルと付き合っていることなどはどうでもよくて、
そのぶさいくが初恋の人だと示せればいいわけで。

その主観に納得がいき、
その全能感を共有できたら、
物語の上り坂を感じることができるだろう。

逆も同様だね。
感情移入さえしっかりしていれば、
それはつくることが出来るだろう。


単に成功と失敗だけではない、
上り坂と下り坂をコントロールできたら、
ジェットコースターの設計者としては一流じゃないかなあ。
posted by おおおかとしひこ at 00:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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