人生と同様、物語には上り坂と下り坂がある。
ただ、単に成功と失敗だけとは限らない。
単純に成功していくときは上り坂だろう。
失敗していくとき、うまくいかないときは下り坂だろう。
だけどそれだけではない。
世界が開いていくときが上り坂で、
世界が閉じていくときが下り坂のように思う。
つまり、成功と関係なくても、
「世界が広がってゆき、どこをとっても自由に感じる」
という状態は上り坂にいるように思う。
つまり、可能性だ。
「世界はどうとでもなる」という感覚が、
上り坂を支えているように思う。
成功が上っていると思うのも、
得たものや得た過程ではなくて、
世界はどうとでもできるぞ、という感覚こそが、
上り坂にいる感覚なのではないか。
人生でも同じかもしれないね。
新入生は謎の自信を持っているし、
若者も謎の自信を持っている。
それは実績から来るものではなく、
単純に無知から来ている若さでしかない。
年を取ればその無知は危険であることがわかり、
「どうとでもできない」ことをたくさん知るので、
どんどん下り坂を感じるんだろうね。
さて、物語である。
その感覚をコントロールして、
上り坂と下り坂をつくることが出来るわけだ。
若さとか年取ったとかじゃなくて、
状況で、それをコントロールするわけである。
年取っていたとしても、
「これから世界は自由にコントロールできて、
いかようにもできるぞ」となれば上り坂だし、
無謀な若者だとしても、
「もう何をしても駄目で、何してもこれ以上よくならない」
となれば下り坂なわけだね。
それは行動に対して、
世界がどう答えるかで決まる。
何もしていない状況でそれは分らない。
行動に対する世界の答えというリアクションで、
今上っているのか下っているのかわかるわけ。
成功失敗は単純な指標だけど、
成功したっていい成功じゃない場合は下り坂だなとなるし、
失敗してもいい流れでも失敗は次まだチャンスがある、となって上り坂だったりする。
世界を自由に支配している感覚。
それこそが「主観的幸せ」といってもいいのかね。
全能感はそういうときにやってくる。
ファンタジーで「ドラゴンの背中に乗って飛べた」
なんてシーンは必ずそういうことに使われる。
それに匹敵するリアルなものはなんだろう?
それを思い付けば、
ドラゴン以上の上っている感じになるよね。
それは主観に過ぎないわけで。
で、その主観を説得するために、
事情の説明が必要なわけだね。
ぶさいくと付き合っていることが最上だと示すためには、
アイドルと付き合っていることなどはどうでもよくて、
そのぶさいくが初恋の人だと示せればいいわけで。
その主観に納得がいき、
その全能感を共有できたら、
物語の上り坂を感じることができるだろう。
逆も同様だね。
感情移入さえしっかりしていれば、
それはつくることが出来るだろう。
単に成功と失敗だけではない、
上り坂と下り坂をコントロールできたら、
ジェットコースターの設計者としては一流じゃないかなあ。
2023年01月28日
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