2023年01月04日

原始的な力

バーフバリやRRRのインド映画は、
凄まじいパワーを持っている。
原始的な力があるからだと思う。
原始的な力のほうが強い、
という映画論的にいうと、最強の一角である。


原始的な力にはいろいろある。
「部族に対して悪辣な敵がいて、
みなで協力して倒す」という刺激は、
とても原始的な力を持っていると思う。

「危険を顧みずそれを克服する」
というのも原始的な力を持っていると思う。

「思いが通じて、両想いになる」も、
「決裂する」も、原始的な力を持っていると思う。

インド映画は、これらを巧みに使う。
もちろん、ハリウッド映画も巧みに使うが、
「部族の敵を皆で協力して倒す」が、
コンプライアンス的に制限を受けざるを得ない状況で、
インド映画のコンプラなど無視、
という強力な殺し合いが、
制限を受けているハリウッドを凌駕していると思う。

日本映画はさらにだ。
コンプラでがちがちになっていたり、
そもそもそんな予算もないから、
敵部族を強力して倒す話なんてほとんど見たことがない。
大河ドラマでもそんなわかりやすい話にはなっていないよね。
それはゴールデンカムイ実写版に求められている要素ではあるが、
おそらくそれはやらないだろう。

やくざとチャンバラは、
かつてそれをやっていた。
とにかく命をかけて、敵の部族と、
味方の部族が闘うのは燃えるのだ。

それは理屈ではなくて、
そういうもので燃えることのできた遺伝子だけが、
闘いに勝って生き残っているからなだけだと思うよ。
それで燃えない遺伝子は、全滅して根絶やしにされたわけだ。


原始的なものにはあと何があるだろう? 
自分より上位存在にひれ伏す、
とかもあるかもしれないね。
上位存在に認められる、というのもあるだろう。

あとは単純に高いところや大きな獣に出会うという、
原始的な恐怖もあるだろうね。

仮に死んだとしても、
自分は大いなるものの一部だから死は怖くない、
という感情も、原始的なもののひとつだろうか。


こうしたいろいろな原始的なものを、
うまく集めておくべきである。

そして、それが、「現代の文脈」だとしたら、
何に相当するかを考えるわけだ。
あるいは、
その原始的なものを現代の文脈でやる方法があるか、
と考えるわけだ。

しかし現代はコンプライアンスが行き届き、
ネットで監視されてしまい、
すぐに通報されて炎上する、
つまらない世界でもある。
原始的なことをなるべく排除してきた結果の、
未来社会になってしまっているわけだ。
なんせ21世紀だし。

そうして骨抜きになってしまった現代が、
原始を求めているのではないかなあ。

バーフバリもRRRも、
現代を舞台にしていない。
命をかけて部族のために戦うのは、
ずいぶん前の時代のことだったからだ。
RRRはインドのイギリスからの独立を持ってきた。
それくらいもってこないと、
現代では民族闘争の正義がないからだね。



先日「RRR」を見終えて、
僕は拍手をして満足して劇場を出たのだが、
若者たちが「思想が濃すぎる」といって、
やや引いていたのが印象的だった。
そうか、思想ごときに左右されるほど、
若者は思想慣れしていないのだなあと。

思想にかぶれて、思想を相対化していないと、
思想がある/ないに反応してしまうのかもしれない。
思想がないものばかりに慣れてしまうと、
どのような思想があっても、ドン引きしてしまうのかもしれないね。
若者が悪いのではない。
すべては、原始的なものから遠ざけようとしてきた、
文明ではないかなあと思う。


時代劇をみなが撮りたいという意味はわかる。
殺し合いをしても構わないからだ。
現代では不可能なことを、
堂々とできる。
民族のために命をかけて戦うことが、
リアルであるからだ。
つまり、原始的なことがやりやすいんだよね。


僕はあんまりちょんまげ劇には興味がないのだが、
原始的なことが出来るならば、
時代劇はやってみたい。

あるいは、ファンタジーがずっと流行りなのもそういうことだよね。
原始的なことが現代劇ではできないから、
ファンタジー世界なら可能だから、
という事だよね。

剣でも魔法でも、原始的なことをするための小道具に過ぎず、
やりたいことは原始的なことのはずだ。

我々に流れる原始の血が、
得物を敵に振り下ろす瞬間に、
沸くのだろう。



日本映画の衰退は、
現代社会の原始性の衰退と関係があると思う。
いわばセックスだって原始だから、
少子化が起こっているのは原始の衰退なわけだ。


ふむ。
この日本で、どうやったら原始を取り戻せるのだろうか?
昭和を舞台にした「時代劇」か?
戦国時代の時代劇か?
宇宙人などの架空が攻めてきて、団結するようなSFか?
現代日本は、原始的な敵を見失っているような気がする。
だから日本映画から、原始的なわくわくが失われている気がするんだよね。

それでもかつては七人の侍がつくられた。
時代劇にしか、原始ムンムンがないのかもしれない。


原始的な何かは面白い。
それをどうやったらできるだろうか?
敵のために、団結するさまは面白い。
敵と命をかけて戦うのは面白い。
競争するのも面白い。
この原始的な何かを、
新しくつくったやつが、
次の原始的なものを発明することになるかもしれない。


今日本映画は予算不足にあえいでいる。
なるべく安くつくれないか、などと言われる。
なるべく面白いものをつくってくださいとか、
なるべく原始的なやつをつくってくださいとか、
言われることってないんじゃないか。
目的から見失っている気がするね。

安くつくれるかどうかはあとで考えても構わない。
まずは、
原始的で面白いものをつくることが先だと思うがね。


どの要素が原始的で面白いだろうか?
言語のない部族の気持ちになって、
あたりを見回すと、ヒントがあるかもしれない。

posted by おおおかとしひこ at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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