バーフバリやRRRのインド映画は、
凄まじいパワーを持っている。
原始的な力があるからだと思う。
原始的な力のほうが強い、
という映画論的にいうと、最強の一角である。
原始的な力にはいろいろある。
「部族に対して悪辣な敵がいて、
みなで協力して倒す」という刺激は、
とても原始的な力を持っていると思う。
「危険を顧みずそれを克服する」
というのも原始的な力を持っていると思う。
「思いが通じて、両想いになる」も、
「決裂する」も、原始的な力を持っていると思う。
インド映画は、これらを巧みに使う。
もちろん、ハリウッド映画も巧みに使うが、
「部族の敵を皆で協力して倒す」が、
コンプライアンス的に制限を受けざるを得ない状況で、
インド映画のコンプラなど無視、
という強力な殺し合いが、
制限を受けているハリウッドを凌駕していると思う。
日本映画はさらにだ。
コンプラでがちがちになっていたり、
そもそもそんな予算もないから、
敵部族を強力して倒す話なんてほとんど見たことがない。
大河ドラマでもそんなわかりやすい話にはなっていないよね。
それはゴールデンカムイ実写版に求められている要素ではあるが、
おそらくそれはやらないだろう。
やくざとチャンバラは、
かつてそれをやっていた。
とにかく命をかけて、敵の部族と、
味方の部族が闘うのは燃えるのだ。
それは理屈ではなくて、
そういうもので燃えることのできた遺伝子だけが、
闘いに勝って生き残っているからなだけだと思うよ。
それで燃えない遺伝子は、全滅して根絶やしにされたわけだ。
原始的なものにはあと何があるだろう?
自分より上位存在にひれ伏す、
とかもあるかもしれないね。
上位存在に認められる、というのもあるだろう。
あとは単純に高いところや大きな獣に出会うという、
原始的な恐怖もあるだろうね。
仮に死んだとしても、
自分は大いなるものの一部だから死は怖くない、
という感情も、原始的なもののひとつだろうか。
こうしたいろいろな原始的なものを、
うまく集めておくべきである。
そして、それが、「現代の文脈」だとしたら、
何に相当するかを考えるわけだ。
あるいは、
その原始的なものを現代の文脈でやる方法があるか、
と考えるわけだ。
しかし現代はコンプライアンスが行き届き、
ネットで監視されてしまい、
すぐに通報されて炎上する、
つまらない世界でもある。
原始的なことをなるべく排除してきた結果の、
未来社会になってしまっているわけだ。
なんせ21世紀だし。
そうして骨抜きになってしまった現代が、
原始を求めているのではないかなあ。
バーフバリもRRRも、
現代を舞台にしていない。
命をかけて部族のために戦うのは、
ずいぶん前の時代のことだったからだ。
RRRはインドのイギリスからの独立を持ってきた。
それくらいもってこないと、
現代では民族闘争の正義がないからだね。
先日「RRR」を見終えて、
僕は拍手をして満足して劇場を出たのだが、
若者たちが「思想が濃すぎる」といって、
やや引いていたのが印象的だった。
そうか、思想ごときに左右されるほど、
若者は思想慣れしていないのだなあと。
思想にかぶれて、思想を相対化していないと、
思想がある/ないに反応してしまうのかもしれない。
思想がないものばかりに慣れてしまうと、
どのような思想があっても、ドン引きしてしまうのかもしれないね。
若者が悪いのではない。
すべては、原始的なものから遠ざけようとしてきた、
文明ではないかなあと思う。
時代劇をみなが撮りたいという意味はわかる。
殺し合いをしても構わないからだ。
現代では不可能なことを、
堂々とできる。
民族のために命をかけて戦うことが、
リアルであるからだ。
つまり、原始的なことがやりやすいんだよね。
僕はあんまりちょんまげ劇には興味がないのだが、
原始的なことが出来るならば、
時代劇はやってみたい。
あるいは、ファンタジーがずっと流行りなのもそういうことだよね。
原始的なことが現代劇ではできないから、
ファンタジー世界なら可能だから、
という事だよね。
剣でも魔法でも、原始的なことをするための小道具に過ぎず、
やりたいことは原始的なことのはずだ。
我々に流れる原始の血が、
得物を敵に振り下ろす瞬間に、
沸くのだろう。
日本映画の衰退は、
現代社会の原始性の衰退と関係があると思う。
いわばセックスだって原始だから、
少子化が起こっているのは原始の衰退なわけだ。
ふむ。
この日本で、どうやったら原始を取り戻せるのだろうか?
昭和を舞台にした「時代劇」か?
戦国時代の時代劇か?
宇宙人などの架空が攻めてきて、団結するようなSFか?
現代日本は、原始的な敵を見失っているような気がする。
だから日本映画から、原始的なわくわくが失われている気がするんだよね。
それでもかつては七人の侍がつくられた。
時代劇にしか、原始ムンムンがないのかもしれない。
原始的な何かは面白い。
それをどうやったらできるだろうか?
敵のために、団結するさまは面白い。
敵と命をかけて戦うのは面白い。
競争するのも面白い。
この原始的な何かを、
新しくつくったやつが、
次の原始的なものを発明することになるかもしれない。
今日本映画は予算不足にあえいでいる。
なるべく安くつくれないか、などと言われる。
なるべく面白いものをつくってくださいとか、
なるべく原始的なやつをつくってくださいとか、
言われることってないんじゃないか。
目的から見失っている気がするね。
安くつくれるかどうかはあとで考えても構わない。
まずは、
原始的で面白いものをつくることが先だと思うがね。
どの要素が原始的で面白いだろうか?
言語のない部族の気持ちになって、
あたりを見回すと、ヒントがあるかもしれない。
2023年01月04日
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