調子良く書いているときは、
まったく挫折の匂いなどない。
挫折の危機は、ふと立ち止まったときだろう。
いけいけどんどん、進めや進め、
という状況のときは、
書いてて楽しいときだ。
全能感に満たされ、
書いても書いても思いつきが湧いてくるときだ。
それはストーリー的にも快進撃を続けているときで、
それを書くことだけがストーリーを書くことだと勘違いしてしまうくらい、
気持ちよいものである。
で、それが鉄が冷めるように、
急速に冷えてしまうときがある。
どんどん進んでいた展開が、
一度落ちて、
どう展開していいか見えなくなった、
井戸の底のようなときである。
あれだけいけいけどんどんだったものが、
次に何を書いていいか分らなくなり、
ストーリーの行方がまったくわからなくなる。
何をしても面白くなくて、
いつか挫折が見えてくる。
立ち止まったときに、
ふとそこが熱がなく、
冷えていることに気づくわけだ。
熱に熱を足して、
勢いを保ってきたものは、
熱がいったん冷めると、
次にどうやって熱を起こしていいかわからなくなる。
だから、そこで、
詰まらなくなって挫折してしまう。
そういうときはどうしたらいいか。
まずその冷えた状態から離れることだ。
物理的にだ。
そして遠くからその状態を観察することである。
その中心の外には何があるか?だね。
たぶん、伏線その他準備したものは、
大体使い尽くしたから、勢いは止まったのだと思う。
燃料切れを起こした飛行機と同じで、
墜落するしかなくなったのだろう。
脱出するには二つある。
その場に燃料を生み出すことと、
その場所以外から燃料を持ってくることだ。
前者はたいていうまくいかない。
まだ残っている要素や伏線があればうまくいくかもしれないが、
それも使い果たしている状態だと、
そこだけからは復活しにくい。
ということは、もっと外を見るとよい。
外には何があり、それとどういう関係のものがあるか、
考えるとよい。
客観的になることだ。
今まで主人公たちがいた所の、
設定が全部できていなくても、
今ここの外にはこういうものがあるのでは?
と想像することはとても役に立つ。
井戸の底で困ったら、
井戸の外には何があるか、誰がいるかを考えるとよい。
それはこれまで出てきたものかもしれないし、
出てきていなくて、新しくつくる必要があるものかもしれない。
どっちでも構わない。
それらを使わないと、
冷めたコーヒーは勝手に温まることがない。
時計が勝手に部品に組みあがることがないように、
ストーリーというのは常にカオスへ向かって行くものだ。
それが勝手に秩序だつことはまずない。
大概カオスになってゆく。
だからよそからのエネルギーを入れないと、
熱的な死しかないと思う。
どことどう接続すると、次に熱くなるか?
については、経験則、としかいいようがない。
こうしたらよくなる、は、
どうしてその井戸の底に来たか、ということと関係あるので、
一概に正解があるともいえない。
なので、
「こういう感じのことがあると、ここから脱出できる」
という経験則を積むしかないと僕は考えている。
今一通りの準備してた展開がひと段落して、
次に何をするべきか分らなくなった。
そういう時は、いったん「休む」という描写をしてもいいんだぜ。
そのときに何かを仕込めるかもしれないからね。
そこで隠されていた何かに気づいたり、
よそから来訪者が来たり、
これまでつながっていなかったところとつながったりして、
展開は息を吹き返すだろう。
そしてそれが「困ってしばらく書いているうちに出口を見つけた」から、
「一休みしたらまた怒涛の展開」に書き直すと、
そこで作者が困っていたことすらわからなくなるだろうね。
まあ作者はつねに困っている。
すぐに勢いというのはなくなる。
だから、
どう次の勢いをつくるべきか、
つねに考えているといってもよい。
ヒントは名作にもあるし、
日常にもあるかもしれない。
一休みしたあとに、
冷えたあとに、
どうやって再び熱くなったか?
おそらく、展開の尽きたものからは生まれず、
別の何かが合流することで次の熱がうまれたはずだ。
何を足せば次の展開ができるのか、
考えるといいかもしれない。
あるいは、何かを引くことで次の展開ができるかもね。
必ず立ち止まる。
必ず冷えはやってくる。
それを前提としたほうがいい。
闇にとらわれないように、
ただ逃げ切るだけでは闇につかまったときに、
なす術がなくなるからだ。
そうではなく、そこで一休みして落ち着いて、
次の展開があるほうが、
ストーリーとしてもリズムがよくなるし、
面白くなると思うよ。
2023年01月31日
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