ライブ感と、時間順序を再構成することは、
真逆だ。
ライブ感とは、
主人公が体験することを、リアルタイムで追いかけることだ。
臨場感があり、
主人公に感情移入しやすくなる。
ともに体験した感覚になり、
強い結び付きを主人公に覚えるようになる。
(おもしろければね)
しかし一方、
早送り出来ない、巻き戻しできない、
飛ばせない、ちょっと置いといてができない、
主人公以外の視点が持ち込めない、
という欠点を持つ。
人生を主観的に、体験的に見ている訳だ。
主人公の知らないものは知り得ないし、
これに一体どのような意味があるか、
などの俯瞰的意味は、
主人公目線でしか考えられない。
小説の一人称に似てるね。
ライブであればあるほど、
ライブのなまものの制限も同時に受けるわけだ。
一方、
時間順序を再構成することは、
俯瞰的な目線に立ち、
意味を構築することである。
その整理した人間の、
整理の仕方を強く感じるわけだ。
(歴史の改竄などはこうして行われる)
意図的に描かないところをつくり、
意図的に強調するところをつくるわけだね。
その意図する意味を強く伝えることができる。
欠点は、ライブ感の利点そのもので、
主人公とともに体験している感覚がなくなり、
ただのレポートを聞いてる気になることで、
感情移入が失せるということだ。
両者を使い分けて、
ようやく語りというものは完成すると思う。
よく整理された時間順序で、
全体の意味が俯瞰できるようになっていて、
しかも、
主人公に感情移入するほどのライブ感があるべきだ。
両者のバランスが悪いと、
それぞれの欠点が目立つことになるだろう。
ライブ感だけだと、
見てるときは面白く、熱があるが、
一体なんやってん?となるわけ。
(「ファイアパンチ」を思い出されたい)
巧みな構成で切り刻まれれば切り刻まれるほど、
作者の意図を感じてしまい、
冷めてしまうわけだね。
(「クラウドアトラス」は未見だが、
そのような作品らしい。
似たような構造に「マグノリア」があると思うが、
それぞれのストーリーラインに感情移入できたか?
と言われるとそうでもない。構造とラストは面白かったけど、
映画の面白さか?と言われるとね)
情熱と冷静の間になるわけだな。
僕はライブ感を否定しているが、
それはライブ感だけになることを否定しているだけのこと。
「クローバーフィールド」はまさにそうだったし、
POV系の映画はそうなりがちだな。
「シンゴジラ」とそうだった。
臨場感はいいよ。
だったら生中継で十分じゃない?
ワンカットだろうがVRだろうが、
生には負けるでしょ。
映画が文学作品である意味は、
その整理された意味にある。
映画が娯楽作品である意味は、
その臨場感にある。
両方必要だ。
トップガンマーヴェックは、
ストーリーは整理された意味を持ち、
アクションシーンがリアル戦闘機のライブ感であった。
最近そういうのが増えてきたように思う。
アクションが生に見えるほど興奮する的な。
僕はチャンバラの段取り的なアクションも好きだけどね。
そうなると、
ストーリーにライブ感が必要になってくるだろうね。
すべてはバランスである。
で、「RRR」は全てが様式美の作り込みなのに、
我々の感情はライブ感に満たされるんだよね。
わかってても泣いちゃうもんね。
突き抜ければかまわぬ、という例だろう。
2023年02月01日
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