2023年02月01日

ライブ感と時間順序

ライブ感と、時間順序を再構成することは、
真逆だ。


ライブ感とは、
主人公が体験することを、リアルタイムで追いかけることだ。
臨場感があり、
主人公に感情移入しやすくなる。
ともに体験した感覚になり、
強い結び付きを主人公に覚えるようになる。
(おもしろければね)

しかし一方、
早送り出来ない、巻き戻しできない、
飛ばせない、ちょっと置いといてができない、
主人公以外の視点が持ち込めない、
という欠点を持つ。

人生を主観的に、体験的に見ている訳だ。
主人公の知らないものは知り得ないし、
これに一体どのような意味があるか、
などの俯瞰的意味は、
主人公目線でしか考えられない。

小説の一人称に似てるね。
ライブであればあるほど、
ライブのなまものの制限も同時に受けるわけだ。


一方、
時間順序を再構成することは、
俯瞰的な目線に立ち、
意味を構築することである。

その整理した人間の、
整理の仕方を強く感じるわけだ。
(歴史の改竄などはこうして行われる)

意図的に描かないところをつくり、
意図的に強調するところをつくるわけだね。

その意図する意味を強く伝えることができる。

欠点は、ライブ感の利点そのもので、
主人公とともに体験している感覚がなくなり、
ただのレポートを聞いてる気になることで、
感情移入が失せるということだ。


両者を使い分けて、
ようやく語りというものは完成すると思う。

よく整理された時間順序で、
全体の意味が俯瞰できるようになっていて、
しかも、
主人公に感情移入するほどのライブ感があるべきだ。


両者のバランスが悪いと、
それぞれの欠点が目立つことになるだろう。

ライブ感だけだと、
見てるときは面白く、熱があるが、
一体なんやってん?となるわけ。
(「ファイアパンチ」を思い出されたい)

巧みな構成で切り刻まれれば切り刻まれるほど、
作者の意図を感じてしまい、
冷めてしまうわけだね。
(「クラウドアトラス」は未見だが、
そのような作品らしい。
似たような構造に「マグノリア」があると思うが、
それぞれのストーリーラインに感情移入できたか?
と言われるとそうでもない。構造とラストは面白かったけど、
映画の面白さか?と言われるとね)

情熱と冷静の間になるわけだな。


僕はライブ感を否定しているが、
それはライブ感だけになることを否定しているだけのこと。

「クローバーフィールド」はまさにそうだったし、
POV系の映画はそうなりがちだな。
「シンゴジラ」とそうだった。

臨場感はいいよ。
だったら生中継で十分じゃない?
ワンカットだろうがVRだろうが、
生には負けるでしょ。


映画が文学作品である意味は、
その整理された意味にある。
映画が娯楽作品である意味は、
その臨場感にある。
両方必要だ。

トップガンマーヴェックは、
ストーリーは整理された意味を持ち、
アクションシーンがリアル戦闘機のライブ感であった。
最近そういうのが増えてきたように思う。
アクションが生に見えるほど興奮する的な。

僕はチャンバラの段取り的なアクションも好きだけどね。
そうなると、
ストーリーにライブ感が必要になってくるだろうね。
すべてはバランスである。


で、「RRR」は全てが様式美の作り込みなのに、
我々の感情はライブ感に満たされるんだよね。
わかってても泣いちゃうもんね。
突き抜ければかまわぬ、という例だろう。
posted by おおおかとしひこ at 13:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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